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DATE : 2006.09.03 (Sun) 23:28
「食べる」ということは、文字通り人間を形作ること。
健康に直結する因子だ。
宇宙を目指す身であれば、当然疎かにできない。

我が家の家訓は、「食べることは命」である。
これは、「食べることは命にかかわる重要なこと」という意味に加え、「食は人生の楽しみだ」というニュアンスも含んでいる。
(さらに言うと、「食べ物の恨みは恐ろしい」という含意も・・・)


また、出産準備で妻が実家に帰っている者として、ここに興味深い問題がある。
すなわち、
「栄養的に満足できるおいしいものを、いかに簡単に、安く摂るか」
ということだ。

人生は問題の連続だ。
最近ノイマンの伝記を読んで、彼の問題解決能力の素晴しさに、改めて感激した。
そんな私にとって、実に解き甲斐のある問題だ!
(といってもノイマンの問題は、いかに効率のよいコンピュータや核兵器を作るか、ということなのだが・・・)

今回の問題を整理すると、
 目的:食品を摂取すること
 条件:1. 必要栄養量を満たすこと
    2. おいしいこと
    3. 調達・調理に要する時間が短いこと
    4. 価格が安いこと
ということになるだろう。
条件2は主観によるところが大きいが、その他は数値化できそうだ。
厳密な数値化はムリでも、かなり絞り込めるだろう。

というわけで、上記の問題に対する2006年9月3日の夕食の「解」は、以下のようである:



玄米ごはん、納豆、豚キムチ、コマイ、豆腐、めかぶ吸い物、野菜ジュース
計:348円

買出しに行ったり、肉・魚を焼いたりで多少時間はかかったが、わりとウマく満腹だ。
外食の場合、値段が高い割に栄養的に満足でないことが多い。
それよりはよい解になっただろうか。

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DATE : 2006.09.03 (Sun) 23:27
最近『週刊100人』で3人の伝記を読んだ。

「地球は青かった」で有名な、人類初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン
初めての宇宙飛行士が決まる前、候補者の中には頭脳や身体能力の点で、ガガーリンよりも優秀な人物が2名ほどいたという。

それでも最終的に彼が選ばれたのは、自己中心的でなく、誰にでも愛想よく接することができる人間性によるところが大きいそうだ。
宇宙飛行士の素質として、メンタリティーが重要なことを改めて知らされた。
また、頭脳や身体能力については、極端によすぎるのは逆に問題なのかもしれない。


近代科学の開拓者アルキメデスと、コンピュータの父フォン・ノイマン
2人は数学者であり、問題解決能力の高さから時の権力に評価され、軍事などの重要分野で力を発揮した点でよく似ている。

政治家、宗教家、芸術家など様々な人物の伝記を読んだが、やはりアルキメデスやノイマンなどの科学者には強く惹かれる。
科学研究に携わるものとして、かくありたいものだ。


話は歴史からややずれるが、最近ナイト・ライダーのビデオをレンタルで2本観た。
コンビニにDVDが置いてあるのを見て、無性に観たくなってしまったからだ。
英語の勉強にもちょうどよい。

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DATE : 2006.08.31 (Thu) 23:54
先週の今日、小学校からの友人と金山に飲みに行った。
そのとき「天竜サイクル・ツーリズム」に一緒に出よう、ということになった。
友人から誘ってもらえるというのは、有難いことだ。
天竜川沿いに約80kmを走るコース。
12月3日の、アイアンマン西オーストラリアのトレーニングとして、ちょうどよい。

先週末は気象予報士試験の問題集を買いに行く予定だったが、実家に帰ったりテニスのイベントがあったりで、結局行きそびれた。
今週こそは入手して、来年1月28日の第27回試験に備えねば。

最近夜はニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』を読み返している。
やはりニーチェはいい。
生きることの意味を思い出させてくれる。
もし生きることがより高みを目指す営みでなかったら、私にとって人生に何の意味があるだろう?

自分自身を克服し、超人への矢となること。
アイアンマン西オーストラリアと、気象予報士試験。
彼方へと渡っていく途中に、いま、私が通るべきところ。

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DATE : 2006.08.23 (Wed) 20:08
NASAが新しい有人宇宙船を「オリオン」と命名した(記事)。
老朽化が懸念されていた、スペースシャトルの後継機だ。



月へのミッションでは最大4人が乗船可能で、火星へも複数の乗組員の搭乗が可能になるとのこと。

計画が現実のものとなるとき、確かなこと。
「この世界の誰かが、月、火星に行く」
ということ。

その「誰か」になりたいとすれば、そのために必要な条件を考え、それを満たすべく努める、というのは、至極論理的だろう。

それが実現できると考えることが、如何に非論理的であっても。

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DATE : 2006.08.21 (Mon) 23:29
私にとって、2006年の夏は、昨日の「トライアスロン珠洲」にあったと言ってよい。

19日土曜日、午前7時半に名古屋を出発。
車の後ろに積んだバイク(自転車)と、助手席の荷物がドライブの相棒だ。
高速道路を乗り継いで6時間足らずで石川県珠洲市に到着。



前日受付の開場には、多くのトライアスリートたちが集っていた。
マラソン大会に参加する人は「健康的」な感じがするが、トライアスリートたちは「強そうな」オーラが出ている。
軽い威圧感すら感じる、というと言い過ぎだろうか。

バイクチェックと競技説明会を受けると、車でコースの下見に出発。
バイクは50.1kmを2周回する100.2kmのコースだ。
30km付近までは、能登半島の先端の海岸に沿って走る美しいコース。
住宅地とビルの群れに囲まれた生活では、目にすることができない光景。
日本にもこんなに美しいところがあるのだな、と思い出させてくれる。

30km地点からは、標高差250mの大谷峠に入る。
数字で言われるとピンとこないのだが、車で上るのも大変な急坂だ。
「これをバイクで上るのか!」
実は、私はあれだけ急な坂を自転車で上ったことはかつてない。
それにレース本番で初挑戦しようというのだから、考えてみれば無謀なことだ。

ラン(マラソン)コースは、美しい見附島を折り返し地点とする23.3km。
こちらは比較的平坦で、これだけならばとりたていうほどのことはない。
しかし、次の日私は思い知ることになる。
トライアスロンはそんなに甘くはないということを。

18時過ぎに宿泊予定地の民宿「むろや」に到着。
4人の相部屋だ。
私以外の3人はベテランの方々だったので、練習やレースのポイントなど、いろいろと教えてもらうことができた。
もし小奇麗なホテルの個室だったら、こうは行かなかったに違いない。

***

20日日曜日、午前4時に起床。
何故そんなに早く起きなければならないのか。
まず、距離の長いレースは当然ながら時間がかかる。
交通規制を夕方くらいに終えようとすると、スタート時刻が朝7時くらいと早くなる。



しかも、トライアスロンはスイム、バイク、ランの3競技の準備を前もってしておく必要がある。
ウエットスーツやヘルメットなど、数十点の持ち物に不備があってはならない。
それらを持って、スタート地点のバイクラックにバイクをセッティングし終えると、1時間くらいはかかってしまうのだ。
それとは別に、食事、トイレ、当日受付、ウォーミングアップをするとなると、起きる時間が早くなってしまうというわけだ。

午前7時15分、鉢ヶ崎海水浴場の砂浜。
珠洲市長のピストルで第4ウェーブがスタート。
ウエットスーツを身にまとった、100人あまりの黒い集団が一斉に海に向かって走り出す。
スイムコースは2,500m。
一週間ほど前から、天気予報を見る度に台風に怯えていた。

が、幸いにしてその日の海は穏やかだった。
波が高いと、前を見ることすらできず、どちらに向かって泳いでいるか知ることが難しい。
最悪な場合、死者が出てしまうこともある。
トライアスロンの誓約書には、「私はトライアスロンが危険な競技であることを理解しています」という下りが必ずある。

「もう何十分泳いでいるんだろう」
腕時計を持っていなかったので、どれくらいの時間がたっているのか分からない。
関門時刻の8時55分を過ぎてしまうとそこで足切りにあってしまう。
それに間に合うようにペースを上げた。



そうこうする内に陸に近づいてきた。
話には聞いていたが、なんと海水がきれいなことか
ゴミなどひとつも落ちていない砂浜。
底が見えてから結構泳いでいるのに、なかなか足が付くところまでたどり着かない。
やっと陸に上がると、スイムの関門を通過。
タイムは1時間15分ほどだった。


ウエットスーツを脱ぎ、シューズ・グローブ・サングラス・ヘルメットを装着してバイクスタート。
最初の20分ほどはスイムの疲れでシンドかったが、それを過ぎると景色を楽しむ余裕が出てきた。
点々と顔を出している黒い岩に、静かに打ち付ける波。
朝9時前は、まだ暑くはない。



海岸と森林と田園を30kmほど行くと、厳しい峠にたどり着く。
ギアを一番軽いのに入れても、なお足が悲鳴を上げる。
下手をすると、時速が8kmを切る。
早歩きのほうが早いくらいだ。

話によると、きついところでは勾配が16%あるらしい。
そうして曲がりくねった道を行き、250mの高さを上り切った。
すると、今度は下りだ。
ペダルを踏まなくても勝手に速度は上がるのだが、それまでの遅れを取り戻すようにこぐと、最高速度は62.7km/hにまで達した。

そうして1週目の50.1kmを2時間20分ほどで通過。
2週目は、疲労のためペースが落ちるだろう。
それでも5時間以内に戻らないと足切りだ。

少なくとも1回、救急車のサイレンが聞こえた。
おそらく選手が何らかのトラブルで運ばれたのだろう。
昼には日差しが強くなっていた。
コース中、1周目は31度だった温度計の表示が、2週目には33度になっている。
リタイヤして救護車に向かっている選手も2人ほど見かけた。
途中私は2回ほど左手の指輪に触った。
妻と生まれてくる子供のため、絶対に無事でゴールせねば



確かに私は疲労していた。
2週目の中間付近だろうか、ストレッチをしようとして止まったとき。
バランスを崩して地面に叩きつけられてしまった
とはいえ着地した手にはグローブをしているので、擦り傷ひとつしていない。

普通の自転車ならばこんなことはないのだが、ロードレーサーは足がペダルに固定されている。
これを外すタイミングをうまく取らないと、止まったままゆっくり無様に転倒してしまうことがある。
意識が朦朧としていたというと言い過ぎだろうか。
極限状態に近いとは言えるかもしれない。

転倒の影響でギアの変速の調子がおかしい。
以前練習中に同じような状況で、走行不可能になってしまったことがあった。
チェーンがカラカラと明らかに異常な音を鳴らす中、何度となく私は祈った。
「何とかバイクゴールまで持ちこたえてくれ!」

そうこうしながらも、約80km地点である2週目の大谷峠までこぎつけた。
しかし、ここをバイクをこいで上る体力は残されていなかった。
トップ選手は、何倍もの速度で上っていくのだろう。
私の前後には、5~6人ほどの選手がバイクを引いて歩いていた。

ちなみにバイクシューズの底は硬い樹脂でできている。
アスファルトの上だと、平地でも滑ってしまうことがある。
急坂ならばなおさらだ。
何度か足を滑らせて転びそうになりながら、私はひたすら歩いた。
そうやって確実にタイムが遅れていく。

2度目の大谷峠をほとんど歩いて上り切った頃には、時間はかなり迫っていた。
残りの15kmほどを、ほぼ全力で走らないと関門に間に合わない。
「関門で足切りだけは絶対に避けたい!」
何度自分に言い聞かせただろうか。
そうすると、自分でも驚くほど足がこいでいる。
170bpm前後の心拍で走り続け、バイクのゴール地点に到着。
しかし、まだ油断はできない。
13時半、スイムスタートからおよそ6時間15分後。
バイクをラックにかけ、シューズを履き替えて走り出す。


「ピッ」
アンクルバンドが計器を通過してタイムが記録されたことを確認すると、私は歩き出した。
ギリギリ関門を通過したのだ。
心拍がもう少し落ち着くまで、しばらく歩こう。
それからいつもどおりに走れば、ランの制限時間2時間半はそれほどキツくはない。

そのはずだった。
しかし、いざ走り出すと、数百メートルと走り続けることができない。
スタートからおよそ6時間半、上り坂の厳しいバイクコースで、私の体は予想以上に疲弊していた。
私は歩くしかなかった。

走っては歩くのを、何回繰り返しただろうか。
スタートから約8時間後、とうとう疲労のために走ることができなくなる
その頃には、9時間10分の制限時間内に完走することは不可能なことを悟っていた。

ランに入ってしばらくした頃から、私の後ろをキュルキュルという音が追いかけてきていることに気づいていた。
大方察してはいたが、振り向いてみると、やはり「最後尾」と書かれた車が。
「バイクとランの最後尾には、最後尾車が付きます」とルールブックに書いてあったが、まさか自分がそうなるとは。

しかし、「自分が最終ランナーである」ということは、もはや私にとってはどうでもよかった。
その日は晴れで、太平洋高気圧の影響で猛暑となった。
どれだけの汗が私の体から滴り落ちたか知れない。
エイドステーション(補給所)にたどり着く度に、頭から水をかぶった。
炎天下、汗水でドロドロになりながら正気と朦朧の間を行き来している私には、見栄も格好も既になかったのかもしれない。
ただ「這ってでもゴールに辿り着いてやる!」という意識だけははっきりしていた。

最後尾車に追いかけられている私に、現地の人たちは何度声援を送ってくれたことか。
おじいさんもおばあさんも、男も女も子供たちも。
どこから来たとも知れない私に、「がんばれ!」という心からの応援を送ってくれる。
それにどれだけ励まされたか。
制限時間には間に合わなくても、「リタイヤする」という選択肢は私にはなかった。



強い日射を受けつつ頭をうなだれながらも歩き続けると、11.7kmのラン折り返し地点の見附島にたどり着いた。
すると、最後尾車から女性が降りて来た。
「このまま行っても制限時間には間に合わないので、ゼッケンとアンクルバンドを取ってほしい」ということだった。
無理もない。
残りの11.7kmを歩くとすれば、2時間以上はかかるだろう。
その間ずっと、大会関係者を引き止めておくわけには行かないのだ。
私は指示に従った。

「本当に大丈夫ですか?」
救護車から顔を乗り出した女性が私に聞く。
車に乗せてもらえば、苦もなくゴール地点に行くことができる。
「大丈夫です」と私が答えると、最後尾車も救護車も高速で走り去って消えた。
エイドステーションの人々も、撤収を始めるだろう。
文字通り、あとは私一人の戦いとなった。
時刻は15時過ぎ、太陽は容赦なく私に照りつける。

スタート後9時間。
走ることができずに歩いていたが、そのうちに歩くことすら困難になってきた
私は何度か座って休んだ。

数km毎に配置されていたエイドステーションは、すべて撤収していて跡形もない。
黄色に点滅していた信号機を、警察官が操作すると通常の青色に戻る。
朝からの交通規制が解除されたのだ。
「ゴールの看板も外されたら、どこに行ったらいいか分からない」
そう危惧しながら歩き続けた。
「ゴールまであと○km」という看板を見かける度、まだ看板が残っていることにほっとする。

そしてとうとう私は目にした。
「ゴールまであと500m」
その先には、競技場らしきものが見える。
それは、青々と芝の茂った野球場だった。
その真ん中に、「FINISH」と書かれた大きなゲートがぽつねんと立っている。
文字通り、誰一人としてそこにはいない。
もう夕日の時間だ。

7時15分に鉢ヶ崎海水浴場をスタートして、10時間44分38秒後。
大谷峠を二度越え、見附島を折り返して合計126km。
走ることのできない私は、finishゲートを歩いて通過すると、仰向けに大の字を描いて倒れた。
2時間か2時間半か、歩きながらずっと描き続けた瞬間である。
鳥と蝉と風の声だけが聞こえる。
青い空に、綿のように薄い雲が浮かんでいる。
「珠洲に来てよかった」



ゴールには誰もいなかった。
しかし、宿に帰ると、相部屋の先輩トライアスリートと民宿の親父が、心配して待ってくれていた。

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