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DATE : 2017.08.17 (Thu) 00:15
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DATE : 2011.04.25 (Mon) 07:35
第52話より続く)

「よし!」

ラットの足底部を彼がつまむと、それに対応してアンプに接続されたスピーカーからパツパツパツっという音が聞こえる。
足底部を支配する感覚神経から送られてきた情報が、セットした電極に伝わってきている証拠だ。
ここからが実験の本番だが、夕方から準備を始めると、ここまで来る頃にはたいてい夜の22時過ぎである。

彼の研究テーマは「慢性炎症病態における冷痛覚過敏機構の解明」である――それは彼が目指す宇宙医学とはほとんど無縁なのだが――から、実験では冷刺激を与えたときの神経活動の違いを、炎症ラットと健常ラットとで比べることになる。
「神経活動に違いがある」というのが仮説だが、それが本当に正しいかどうかは実験をやってみないとわからない。
実際にやってみたら仮説は外れでした、、というのは決して珍しくない。

その場合、うまく行けば多少の軌道修正で済むが、下手をすると研究のテーマをごっそり変えてしまう必要性がでてくる。
研究テーマ変更となると、それまでに要した期間が長ければ長いほど悲惨だ。
何せ博士号取得を目的とする大学院生ならば、その分だけ修了の時期がずれ込むことになるからだ。

幸いなことに、彼の場合は研究を進めるにしたがって仮説を支持するデータが続々と出てくる。
こうなると、実験で徹夜になってもかえって嬉しいくらいだ。
実験をしていて空が明るくなることは珍しくないが、あるときなど彼は、机で30分ほど仮眠を取ったのを除き、27時間もブッ続けでデータを取り続けた。

そうやって彼が幾度となくラットを相手に徹夜を繰り返し、9ヶ月が過ぎた頃には、研究の仮説を証明するのに十分と思われるデータが揃った。
それはたまたまそうなったのではなく、通常は4年間かかる課程(それ以上になることも多い)を、3年で短縮卒業したいという強い意志が彼にあったからに他ならない。
彼が卒業を急ぐのは、その方が宇宙飛行士候補者選抜の応募に多少は有利だろうということもあるが、実はそれ以上に重い理由がある。

彼には果たすべき約束がある。
思い返せば3年前、彼がまだ「動物のお医者さん」だった頃、その人は腎不全の猫を連れて彼の前に現れた。
今や彼の最大の理解者となっているその人との約束を果たすためには、早く大学院を卒業して職に就かなければならない。

研究や国際宇宙連盟会議やパラボリックフライトで日々が過ぎていく中、彼は大学院卒業後の仕事を密かに探していたが、何せまだ博士号取得の確たる見込みもないこと、彼はおろか運命の女神にすらそんなことは分からないに違いない。

(第54話に続く)

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DATE : 2011.04.18 (Mon) 04:44
第51話より続く)

長年やっているプロならば話は別だが、研究を始めてから成果が出始めるのには、おそらくどの分野にしろある程度の時間がかかる。
まず実験の技術を習得するのに数ヶ月かかることは珍しくないし、さらに自分の研究の学問的な位置づけについて把握するのは、もっと時間がかかる。
したがって、通常は4年間である大学院医学研究科の課程をあわよくば3年で終えようとするのは、期待先行のナイーブな思い込みであることが少なくない。

自分の研究の実験が思うように進まなかったり、さらにはそれに耐えられずに辞めてしまう大学院生などを目の当たりにしたりすると、研究の世界の厳しさが分かってくる。
彼も大学院に入学した当初――それはかれこれ2年前になるが――は、意味のある実験データが出てこないことで半年ほど苦しんだ。
しかし、その後に彼が始めた新しい実験は、それまでの停滞が嘘のように成果を生み始める。

彼の実験は、ラットに麻酔をかけて顕微鏡下でたった一本の神経線維から電気信号を記録するという、職人芸的に難しいものである。
その困難にもかかわらず彼をそれに立ち向かわせたのは、「俺は獣医だ!」という譲れない一線に他ならない。
もし動物を取り扱うプロである獣医師が「動物の神経活動の記録なんてできません。。」などと言おうものなら、獣医としての能力はおろか、下手をすると人格すら疑われかねないのではないか?

その実験は、一旦始めると長丁場になるので、仮に朝から始めたとしても終電前に終わる保証はない。
したがって、彼は売店で夜食を買い込んでから徹夜を覚悟で実験を始めるのが常である。
おそらく傍目にはそんな風には見えないだろうが、彼はおにぎりやカップヌードルをかごに入れているときから、徐々に戦闘態勢に入っていく。

そして、いよいよその日の戦いが始まる。
麻酔導入後に気管切開してカニューレを挿入し、頚静脈には輸液ラインを、頚動脈には血圧プローブを挿入して縫合糸で結紮(けっさつ)する。
強さの加減を間違えると気管が破れてしまってカニューレ挿入どころではなくなるし、また特に頚動脈は、ごくわずかな操作の誤りが大量の出血を呼び、あっという間に「血の海」となってしまってデータ収集などおぼつかない。

気管、頚静脈、頚動脈の処置がまともにできるようになるまでにはある程度――人によっては数ヶ月、あるいはそれに耐えられないかもしれない――の修行が必要だが、肝心な実験データの取得はこの先の手順にある。
足底部(足の裏)の支配神経である腓腹(ひふく)神経を露出するのは肉眼で可能だが、そこから一本の神経線維を取り出すのは、顕微鏡下でなくては不可能だ。
目的は神経活動を記録することであるから、太さ数ミクロンというごく細い組織を、無傷のままで電極の上に乗せなくてはならない。

わずかに引っ張ったりつまんだりするだけで死んでしまう神経を、生きたまま――それもたった一本だけ――電極に乗せるのは、かなりの熟練を要する。
しかも仮にうまく行っているとしても、それが足底部からの感覚神経でなければ意味がない。
この手技が本当にうまく行くと、足の裏を触ったときにそのタイミングに完全に一致してオシロスコープ上で波形が現れ、接続されたスピーカーから「パツッ」という短い音がする。

実験装置のセットアップを開始してからこの状態に持ってくるまでに――神経活動が一回も出ないまま終わってしまうこともあるが――5、6時間はかかるのだが、ここからやっとデータの記録が始まる。

第53話に続く)

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DATE : 2011.04.10 (Sun) 13:08
第50話より続く)

新ミレニアム初めの2001年は、彼にとって宇宙三昧の一年であったが、その間にも彼は相も変わらず英語の勉強を続けていた。
国際宇宙連盟会議への学生派遣事業であるNASDAの”Join us at IAF 2001”で派遣学生に選抜されたことで、ある程度の英語能力は認められたものの、それで十分だとは彼も考えていなかった。
いま彼が宇宙飛行士候補者選抜を受けたとして、英語試験を無事にクリアできるかといえば、まだまだ怪しいと言わねばならない。

己の剣をさらに鍛えるため、彼は通学電車の中でのCNNニュースのシャドーイングを欠かさずに続ける。
『CNN English Express』を書店でほぼ毎月買っては、付属のCDをMDにコピーして電車の中で聴き、ひたすらネイティブの発音を真似て口を動かす。
2000年の7月号から始めた毎月発売のその雑誌は、今や彼の自宅の本棚の一画を埋めていた。

「平成20年度 国際宇宙ステーション搭乗宇宙飛行士候補者 募集要項」によると、英語試験に関して次のような記述がある:
海外在住の応募者のうち、本人の現在の英語能力を証明できる書類(以下「英語能力証明書類」 という。7.(1)⑦項参照。)を応募書類と同時に提出できる方については、提出された英語能力証明書類により書類選抜を行うこととし、6月及び7月の英語試験は免除とします。
彼は海外在住者ではないのでこの条件には当てはまらないのだが、宇宙飛行士候補者選抜において、英検の資格(これは英語能力書類に含まれる)が英語の能力として認められるだろうと推論するのは、全くの外れではあるまい。

2002年1月27日、彼は6回目の挑戦となる英検1級の試験に臨む。
前回の試験では、合格点86点に対し得点83点で、あと3点というところで惜しくも合格を逃したのだった。
「今回こそは取りに行く」という心構えで彼がその試験に臨んだことは、想像に難くない。


果たして結果はというと、またしても不合格Aであった。
合格点86点に対し、得点84。
7か月前に受けた時より、1点増加している。

これを見て怒ったり悔しがったりするかと思いきや、彼がとったリアクションは、笑いであった。
それは自嘲的な笑いではなく、笑い飛ばす類の笑いである。
7ヶ月間あれだけ必死に――IACのエッセイも電話インタビューも、通学電車のシャドーイングも――勉強してきた効果が、122点満点中のたった1点だけというのは、傍目からはさぞかし滑稽に見えるだろうと思うと、あまりのシュールさに笑わざるを得なかったのである。

もしこれが仮に1点でも下がっていたら、こうはいかなかったに違いない。
しかし、毎回試験問題が異なり、難易度も若干異なるであろう試験のことを考えれば、1点の違いなどは誤差の範囲内であって、それに一喜一憂するのは、客観的に見れば全く取るに足らないつまらぬことに違いない。
むしろ、前回の試験結果がまぐれでなかったことの証明だとでも思えば、いくらか前向きだろう。


2002年の2月26日には、彼は日本宇宙フォーラム(JSF。”Join us at IAF2001”の事務局はJSFであった)主催の「宇宙開発における人材育成シンポジウム」に参加するため、東京に行っている。
ここで彼はIACフランス大会に共に参加した仲間の何人かに会ったほか、新しい人たちと出会って人脈を広げた。
この中の何人かは、いずれ数年後に行われるだろう宇宙飛行士候補者選抜を受験するのだろうか?

そして2002年の春を迎えると、彼も大学院3年生になる。

第52話に続く)

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DATE : 2011.04.04 (Mon) 03:35
第49話より続く)

人は、自分のことを棚に上げて他人を評することがままある。
彼は、スポーツ選手や音楽家など、何かひとつの事に懸命に打ち込んでいる人を見て「どうしてそこまでできるのか?」と羨ましく思うことがしばしばある。
しかし、彼という生命体がエネルギーを燃やすのは、あきれるくらいいつも決まって宇宙のためではないのか?

IACから帰って来た6日後にパラボリックフライトで無重力を体験したかと思えば、彼はその3週間後には宇宙航空環境医学会で学会発表をした。
彼の研究テーマは「気圧、気温の変化が慢性炎症病態の痛みに与える影響の解明」というもので、これは宇宙医学との直接の関係はない。
それにもかかわらず彼が半ば強引に宇宙関連の学会で発表を行うのは、一歩でも宇宙の世界に近づきたいという一心からに他ならない。

その2週間後には「IAF3大会合同交流会」に参加するため、時間と金を費やして彼は東京に向かう。
国際宇宙連盟会議への学生派遣プログラムは今年で3回目であるが、第1回のオランダ大会、第2回のブラジル大会と、先日彼が参加した第3回フランス大会に参加した学生たちが、一堂に会して交流を深めようというのである。
第1回、第2回の大会参加者の中には、大学を卒業してNASDAに就職している人たちもあり、彼はそのような「宇宙の人」たちとつながりを築いていく。

IAF3大会合同交流会の10日後にまた彼が時間と金を費やして行ったのは、「学生宇宙対話」なるイベントである。
参加者10人前後という小規模なイベントではあったが、主催者にはNASDAやシンクタンクの職員が名を連ねており、ここでも彼は宇宙関連の人たちとの人脈を築いていく。
2001年もはや11月の末、振り返ればこの年は若田宇宙飛行士帰国後連絡会に始まり、NASDA の宇宙環境利用システム・宇宙環境利用センター成果報告会、H2A打ち上げ、IAC、パラボリックフライト、宇宙航空環境医学会、IAF3大会合同交流会に学生宇宙対話と、怒涛の如く宇宙尽くしの1年であった。

つい2年前までは「孤島の一匹狼」であった彼も、今や宇宙の人たちの世界を間近に感じられるまでになっていたが、それはやはり彼が環境医学研究所の大学院生となったことが絶対的に大きく影響している。
では彼の本業である大学院生としての仕事ぶりはどうだろう?
環境医学研究所では、所属する大学院生が研究成果を英語で発表する「環研カンファレンス」というコンペティションが年に1回行われる。

「研究の成果はともかく、英語のプレゼンで無様な失態だけは絶対にできん!」
英語による初めての口頭発表に備え、彼は20分程度の発表原稿を作成して暗記すると、ちょうど時間内に収まるように練習を繰り返す。
この勝負、負けまじ――彼を突き動かすのは、宇宙を目指して9年間にわたり英語を勉強し続けてきたという自負である。

必勝の心意気で臨む彼は、集中力を爆発させて「どうだ!!」と言わんばかりの発表を審査員とギャラリーぶつけたが、彼を破って堂々の1位に輝いたのは、才色兼備な外国人留学生であった。
1位を逃したのは悔しいに違いないが、入学前はそもそも医学部の大学院でやっていけるのかと危惧していたことを思えば、まずまずやっている方だとはいえよう。
宇宙の世界でいくらかの人脈を築き、大学院でもぼちぼちという状況を考えれば、彼が「宇宙の仕事ができるかもしれない」と思い始めるのも、それほど無茶なことではないのかもしれない。

第51話に続く)

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DATE : 2011.04.01 (Fri) 02:26
第48話より続く)

Gulfstream-IIはアメリカのガルフストリーム・エアロスペース社が開発したジェット機で、ビジネス用のプライベートジェットなどに用いられる。
ちなみにホリエモンが所有していたのはGulfstream 400型機で、お値段は30億円だったとか。
プライベートジェットの場合は内部に備え付けられているのは豪華なソファやシャワールームだが、パラボリックフライトの場合、載っているのはそれと比べればずいぶん殺風景な実験用の機材である。



自律神経活動を記録する実験の被験者である彼は、呼吸計や心電図などのモニターを首から脚までびっしりと取り付けられ、被験者用のベッドに体が動かないようにガッチリと固定されている。
まっすぐ向くと見えるのは天井だけで、窓は少しだけ見えるのだが、どのみち高度を上げると見えるものといっても青い空だけだ。
天井からひもでぶら下がっているものは、一見何のためか不思議なのだが、オレンジ色のピンポン球である。

研究者が被験者と実験装置のチェックを終えてパイロットに合図すると、Gulfstream-IIは滑走路を離陸し、数十分ほど飛行するとパラボリックフライトを行う予定空域に入る。
いよいよG-IIが機体を持ち上げて急上昇を始めると、機内のあらゆるものには2Gの加速度がかかる。
戦闘機で9Gまでかかるのに比べればまだまだ軽い方だが、それでも体重が2倍になったような、押し付けられるような圧迫感が感じられる。

しばらくすると、2Gの加速度でベッドに押さえ付けられていた彼の身体が、不意にふっと軽くなる。
十分に上昇したG-IIが、エンジン出力をカットして放物線軌道を描く自由落下を始めたのだ。
この約20秒の間機内は0G状態となり、さっきまで重かった身体が嘘のように軽くなる。

天井からつるされているピンポン球が、微小重力でふわっと宙に浮いている。
なるほど、ピンポン球は無重力になったことが分かるように付けてあったのか!
おもしろいことに、窓のさんにたまっていた埃までもがフワフワと浮いている。

一方彼と同乗している他の研究チームの研究者は、ベッドにくくりつけられて身動きできない彼を尻目に、何の実験をしているのか楽しそうに浮遊しているではないか。
「あぁ、俺も空中遊泳がしたい」と内心彼は思うのだが、それを言っても始まらないので、できるだけ有効なデータを取ってもらうために精一杯じっとして、よい被験者であることに努める。
微小重力の20秒間はあっという間に過ぎ、浮いていたピンポン球も埃も一瞬にして元の場所に落ちると、G-IIは次の放物線飛行に備えて姿勢を立て直す。

あとはこの繰り返しである。
このように何回もGの変化を受けるというのは日常体験しないことなので、人によっては悪心を起こしてしまうのだが、彼はベッドにくくりつけられて身動きできないせいか、嘔吐を催すまでには至らない。
あるいは、前日に十分睡眠を取り、食事にも気をつけたことが多少の効果を上げたのかもしれない。

17回の無重力飛行が終わり、至るところに取り付けられていたモニターとベッドの固定が外されると、彼が真っ先に向かったのは機内のトイレである。
脚に電極を取り付ける必要があったので彼は短パン姿なのだが、3時間近く寒い上空で脚を露出していたためか、膀胱にかなりの量の液体が貯留していたのである。
他大学の研究者も感心するほど長い間彼は「出し」続けたのだが、そんな経験は彼の人生で前にも後にもないかもしれない。

9-11テロの後のことではあるが、パラボリックフライト実験の参加者は流石に大丈夫だと思われているのか、操縦席と客席とを仕切る壁は取り払われたままである。
小型機とはいえ――いやむしろ小型機こそと言うべきか――、操縦席の計器とパイロットを間近に見ながら飛行するのはおもしろい。
研究者一行は、操縦席のフロントガラス越しに青い大空と名古屋の街を眺めつつ、飛行機の飛ばし方などについてパイロットと会話を交わしながら、小牧空港に帰還した。

第50話に続く)

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