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DATE : 2013.12.30 (Mon) 00:57
映画『ゼロ・グラビティ』を観た。
この映画を一言で要約すれば、「あきらめるな」ということになるだろう。

『ゼロ・グラビティ』は宇宙飛行士を主役とする、いわゆる宇宙モノである。
ジェームズ・キャメロン監督、宇宙飛行士の角野直子さんやホリエモンなど、各界の著名人がこの映画についてコメントしていて、絶賛しているものも少なくない。
私の感想はというと、時間がとても自然に流れていったという感じだ。
作品中に過度の脚色がなく、無重力での物体の運動やISSの構造などはかなりリアル。
「それはウソでしょ」というところがほとんどない。

「ほとんど」の例外は、主役の女性宇宙飛行士の心理特性だ。
危機的状況で動揺するのは理解できるのだが、あの状況で命をあきらめるのはどうか。
ああも簡単にすべてをあきらめてしまう人が、国家によって宇宙飛行士に選ばれてしまうことが、実際にあるのだろうか?

温度差が激しく空気のない宇宙が過酷な環境であるのは間違いない。
しかし、我々が生きているこの地球上のごくありふれた生活も、私も含め多くの者にとって容易ではない。
ときには(あるいはしばしば、いつも)過酷である。
文字通りの生命までは奪われないまでも、不正行為やセクハラなど、状況判断のミスがあればキャリア上死んでしまう可能性はままある。

難問に直面した時、簡単にあきらめてしまうようではこの世で生き残れない。
映画中のコワルスキー宇宙飛行士のように、死が避けられないことが明らかになった場合でさえも、取り乱さずに最善を尽くさねばならない。
それは宇宙だけでなく、どこにいようが同じだ。

どんなときにも最善を尽くす。
そこに生きることの本質があるのではないか?

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DATE : 2013.01.29 (Tue) 00:41
小津安二郎の『東京物語』を観た。
戦後の日本を舞台とする1953年公開のこの映画は、世界的にも非常に評価が高いといわれる。
この作品の主題は親子関係の儚さである、と言ってしまうと実に陳腐なのだが、これについて私の視点で考えてみたい。

登場人物の平山一家は、年老いた父・周吉、母・とみと、その4人の子供たちから成る。
老夫婦は尾道の家から子供たちを訪ねて東京に行く。
作品中では周吉ととみはよき老人として描かれているのだが、久しぶりに訪ねてきた両親に対し、子供たちの応対は一見親切ながらも、実はぞんざいである。

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東京や大阪で暮らす子供たちには、忙しい仕事と、自分の家庭とがある。
彼らには彼らの生活がある、といってしまえばそれまでだ。
しかし、母の危篤を知らされたときに喪服を準備する周到さや、亡くなった後に形見を要求する抜け目なさに、観る者は痛ましさを感じるのである。

種として見た場合、ヒトは親から生まれ、子を産む存在である。
子を産むということは、すなわち親になるということである。
だとすれば、親の存在をないがしろにするのは、自分をないがしろにするのと同義である。

また自分の親を大切にしない親を、子供は大切にしないだろう。
多くの人にとって、実際の親子関係はそうそう理想的なものではないかもしれない。
それでも多くの場合、親をぞんざいに扱うことは、自分の首を絞めることなのではなかろうか。

そして逆に、親を大切にすることは、結果的に自分自身を大切にすることなのだろう。

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DATE : 2013.01.16 (Wed) 00:17
以前より気にかかっていた、社会現象とまで言われたエヴァンゲリオンを、ようやく観た。
映画の 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』ならばてっとり早く筋が理解できるかと思いきや、序、破、Qと観てもまだまだ本質がつかめない。
これはオリジナルTVシリーズを見る必要があるということになり、結局DVDで『新世紀エヴァンゲリオン』の全エピソードを観てしまった。

加持曰く「真実は、人の数だけ存在する」。
したがって、私独自のエヴァ解釈があってもよかろう。
私にとって、エヴァンゲリオンとは「人がいかにして生きるか」についての物語だ。

Episode 20’では、ミサトやアスカやレイやユイの姿を借りて「何を願うの?」という問いが主人公シンジに発せられる。
これはそのまま、劇を観ている私たちに「この世界に何を望むのか」を問うている。
それは「人がいかにして生きるのか」ということの別の表現である。

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最終話「まごころを、君に」でシンジが置かれた状況は、二択ではないかと思う。
第一の選択は、ATフィールドを捨て、ヒトの形を捨てて、自分と他人との境界のない、したがって争いや対人関係の苦しみが一切ない、LCLの海、エデンの園に還っていくこと。
第二の選択は、ATフィールドを持ち、ヒトにとどまり、自己と他者の存在する、したがって争いも対人関係の苦しみも存在する、いわば我々の日常に戻ること。

ゼーレが目指している第一の選択も捨てがたい。
ヒトの形は失ってしまうが、なにせ他人との衝突が一切ない、というよりは、境界なくあらゆる他者と融合している、争いごとなど起こりようのない、平和な世界だ。
この世界は、劇中ではシンジとレイがLCLの海の中で性的結合をしている状態として描かれている。

しかしシンジは第一の世界を見たのち、「何か違う気がする」といって第二の道を選ぶ。
結局我々にとっての日常を選択するのである。
なんだかがっかりな気もするが、これももっともなうなずける選択だと私は思う。

なぜならば、自己が存在しない世界では、愛することも、希望することも、夢を見ることもできない。
常に他者と融合している世界では、愛など存在しない。
あらゆる要求が満たされている世界では、希望という概念など存在しえない。

夢について、シンジとレイは次のように語る:
シンジ「じゃあ、僕の夢はどこ?」
レイ「それは、現実の続き。」
シンジ「僕の、現実はどこ?」
レイ「それは、夢の終わりよ。」

このやりとりを「夢が無残に打ち砕かれて現実に引き戻される」ことだと解してしまうと、この世は地獄になってしまう。
しかし、人生を「満たされない現実から夢が生まれ、その夢が達成されて現実となる」というサイクルの繰り返しと見るならば、この世は希望に満ちている。
Finaleで伊吹が言うように、「現実を見る角度。置き換える場所。これらが少し違うだけで、心の中は大きく変わる」のだ。

それに私は、死後の世界とは結局第一の選択の世界ではないかと思う。
我々人間が死ぬと、身体を構成している物質は焼かれるなり腐るなりして、最終的に自然に還っていく。
土なり海なり空気なりに変わっていくそのさまは、まさに自己と他者の境界の存在しない世界への移行だ。

ヒトの形を失って自然に還っていくことを、私たちは死と呼ぶ。
しかしこれは、考え方によっては新しい存在形式の始まりでもある。
自己も他者もすべて融合し、争いのない平和な世界は魅力的だが、わざわざ今これを選択しなくても、いずれ我々はそこに還ってゆく。


『ヱヴァンゲリヲン新劇場版: Q』には、エヴァの世界が打ち砕かれたとか、意味不明というようなネガティブなコメントも多く聞かれるようだ。
しかし私は、エヴァンゲリオン、あるいはヱヴァンゲリヲンは、自己の意思を持って生きようとする人間への讃歌だと考える。
Qは、繰り返す世界の円環の中で語られる、『新世紀エヴァンゲリオン』のアナザー・ストーリーだと思って観ればおもしろい。

おそらく数年後になる次作『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』に、大いに期待している。

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DATE : 2012.12.20 (Thu) 00:11
第1次世界大戦のリアルなドキュメンタリーを思わせるシーンから映画は始まる。
ところがどっこい、その後のあらゆるシーンやチャップリンのコミカルな演技で、観客は笑わずにはいられなくなる。
この映画には、人間だったらおそらく誰でも笑ってしまうような、ユニバーサルな笑いが至る所にちりばめられている。

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また、ヒトラーの名前をもじったヒンケル、ナチスのハーケンクロイツをもじったダブルクロスのマークや、オーストリアをもじったオストリッチなど、ユーモアもいっぱいだ。
しかしこの映画の核心はやはり、単に笑いとユーモアだけに終わらない強烈なメッセージ性にあるだろう。
ユダヤ人のいたましいゲットー生活や独裁に対する批判をそのままストレートに描くより、ほとんど3分おきに現れるコミカルなシーンの合間に描くことにより、訴える力はより強くなる。

何か大切なことを訴えるとき、敢えて笑いを入れることによりメッセージを強めるというのは、高度なコミュニケーションスキルだ。
ぜひ一度やってみたいことではある。

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DATE : 2011.08.24 (Wed) 23:53
今週の日曜、レオナルド・ディカプリオ主演の『インセプション』を観た。
私の周りでも、口コミで評判が良かったから。
どれどれと思って見てみると、評判に違わず面白い映画だった。

この映画で一番重要なことは、「自分は何を信じるか」ということではないか?
映画の中で主人公ドム・コブたちは、人の夢に入り込む。
夢の中で夢を見て、その夢の中でまた夢を見て、という複雑な展開だが、そうなると何が本当なのか分からなくなってくる。

コブは自分の子供たちと再会することを夢見て仕事を続けている。
奇想天外な展開にハラハラさせられるが、最後にはコブの夢は叶った、かに見える。
しかし、コブの夢が実現した、ということが夢か現実かは、はっきりとは描かれていない。
まるでクリストファー・ノーラン監督が「あなたはどう思う?」と観客に問いかけているかのように。

映画の中でもいっているように、夢の中では、起こっていることが現実だ。
精神は、現実の世界から影響を受ける。
そして、夢とはその人の精神世界の投影だ。

さらに、夢の中で起こったことは、現実の世界に影響を与える。
例えば、よくいわれるように、何かの問題について集中して考えていると、その答えが夢の中で得られたりする。
確かにこうなってくると、夢か現実か、一体何が真実なのか分からなくなってくる。

だから、「自分は何を信じるか」ということはとても重要だ。
なぜなら、夢の中でも、現実でも、その人の世界はその人の信念の投影だから。
他の言い方でいえば、人は自分の信念の眼鏡を通して世界を見る、ということ。

だからこそ、何を信じるかというのは本当に大切だ。
そして、映画の中でもいっているように、アイデアは伝染する。
一人の人間が考えていることが、他の人間にも伝わっていく。

奇跡は、それを信じる人にのみ訪れるという。
それは、奇跡を信じる人にとって――また別の言い方をすれば、奇跡を信じる人の世界では――それは現実に起こりうる対象だからだろう。
私には、主人公コブは最愛の子供たちと再会するという、自分の夢を実現したと思われてならない。

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