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DATE : 2011.02.05 (Sat) 01:24
第14話より続く)

1994年の7月(ちょうど獣医学生の彼が「グレート・コンポーザー」のクラシック音楽を聴いたり、フランス語の勉強をしていた頃)には、宇宙飛行士の向井千秋さんがIML-2ミッションで宇宙メダカの実験を行っている。
インターネットの情報によると、その実験を提案・指導したのは、何とあの宇宙医学実験センターの教授ではないか!
彼がネットカフェでそれを見たとき、彼にとって「聖地」とも呼ぶべき宇宙医学実験センターにどれほど胸が躍ったかは想像に難くない。

彼が最敬礼のメールを送ったその教授は幸いにして懐が深い人物であったので、宇宙医学実験センター見学の話はトントン拍子に進んだ。
それは彼にとって疑いもなく最重要イベントであるから、彼は当然の如くその教授の都合に合わせて休みが取れるよう同僚と相談した。
そして満を持して迎えた1998年7月24日、彼はついに「聖地巡礼」を果たす。

しかし困ったことに、宇宙医学実験センターは大学院生の募集を行っていないことが判明した。
理由は、教授の定年退官が近付いているので博士課程の指導を責任持って行うのは難しい、とのことである。
「宇宙医学の研究を行っている研究室はここだけではないので、他も当たってみてはどうか」という助言をもらい、彼はやむなく帰ることになった。


当時あまり一般に普及していなかったネット検索で宇宙医学実験センターを見付け、医学研究科というハードルが高そうな所とコンタクトを取り、実際に見学にまでこぎ着けたのは、彼の行動力の賜物といえるかもしれない。
しかしその一方で、彼のやること成すことに常にある種の「雑さ」があったことは否めない。
例えば今回の宇宙医学実験センター見学にしろ、そこで大学院生の募集がなかった場合にどう出るかについて、彼は事前に何一つ具体的なプランを持っていないという行き当たりばったりであった。

実際、彼は獣医の仕事において「先生(彼のこと)はがさつやな!」といって院長の叱責を受けている。
この院長は、普段の仕事は右腕の副院長にほぼ完全に任せており、他院からの紹介の患者など特別の場合を除き、ほとんど病院に姿を現さない。
その風貌はといえば、髪はグレーにして短く、目は漆黒にして深く、顔に刻まれし無数の皺は過去の幾千の「戦い」を物語る、というものである。

その人は獣医臨床のあらゆる分野において高い知識と技術を有しているが、とりわけ外科が滅法強く、オペ室に入ればブラックジャックさながらの神業をふるった。
しかしそれは華麗なテクニックを見せびらかす類のものでなはく、飽くまで質実剛健に徹したものである。

ある時、彼は院長が執刀する整形外科の手術に助手として入った。
院長がそのオペを簡単な去勢手術のようにあまりに淡々と進めるので、彼は「大して難しい症例ではないのだろう」と高をくくった。
ところが手術後スタッフルームで彼がお茶をすすっていると、副院長が現れて「オペ中に院長は何も言わなかったが、あれは非常に高度な技術を2つ組み合わせて適用していたのだ」といって唸ったので、彼は舌を巻いた。

その人は彼の動物病院のスタッフからはもちろん、全国の獣医師からも尊敬を集めていた。
テレビの取材といえば、成り上がり者が飛び上がって喜びそうな話だが、そんな話も「ええわ。」の一言で一蹴する人である。
おそらくその人を占めているのは患者の健康と、飼い主の喜びと、己の業の全うであって、メディアの評判などという卑小なるものに一瞥の価値なし、という孤高の境地に達していると思われる。

また、彼のように獣医師として赤子同然の青二才にも常に「先生」という尊称で呼ぶところに、その人の徳の一端が窺える。
もしこの世に「伝説の獣医師」なるものがあればこの人に違いない、と思わせるような人物である。
「人間、歳はあのように取りたいものだ」と彼は思った。

彼は、院長の言葉をしかと受け止めた。
「宇宙飛行士にがさつ者はあるまい。」
彼が院長から受けた叱責は、その後10年以上経ってなお彼の行動に軌道修正を促し続ける、珠玉の言葉である。

第16話に続く)

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DATE : 2011.02.03 (Thu) 00:46
第13話より続く)

実家の比較的近くに「宇宙医学実験センター」を見付けて歓喜した彼であったが、だからといって彼の将来が何一つ約束されたわけではなかった。
それはどうやら大学の医学研究科の施設らしいが、医学研究科といえば、エリート医師が集まって崇高な研究を行う、気高い象牙の塔ではないか?
そもそも、彼のような一介の獣医、しかも優秀でもない獣医など、相手にすらされないのではないか?

しかし、宇宙を目指す彼には、何とかしてそこに近付くという選択肢しかなかった。
彼が思いつく限りの「最善手」は、自分の専門である医学を生かし、しかも宇宙と関係のある分野で博士号を取得することだからである。
もっとも、世間の良識ある人にしてみれば「最善手」は無難に生きることであり、彼の状況で宇宙飛行士を目指すことなど、正気の沙汰ではないのかもしれないが。

彼の愛読書『ツァラトゥストラはこう言った』の中で、主人公ツァラトゥストラはこう言う。
人間は、動物と超人のあいだに張りわたされた一本の綱なのだ、――深淵のうえにかかる綱なのだ。
渡るのも危険であり、途中にあるのも危険であり、ふりかえるのも危険であり、身震いして足をとめるのも危険である。


彼がしていることは、まさに綱渡りであった。
大学院生の募集があったとして、入試に受かる保証などあろうか?
仮に合格して医学研究科の大学院生になったとして、エリート集団に交じって医学博士号を取得できる見込みなど、いったいどこにあろう?

仕事を辞めて意気揚々と大学院に行ったはいいが、「はいダメでした」となったら、またノコノコと獣医に出戻るのだろうか?
万が一奇跡的に医学博士になったとして、そのあと仕事はどうするのか?
また逆に、宇宙飛行士を目指すことをやめればやめたで、戦わずして逃げたことを彼は一生後悔するに違いない。

彼とてその危険は十分に承知している。
しかし、自ら望むものを本気で求めるなら、「なんとかなるさ」と思ってその綱を前に進むしかない。
彼は、その綱渡りゲームに「人生」という札を賭けているのだ。

1998年6月20日、某大学の医学部付属である宇宙医学実験センターの技官の人物宛てに、彼は問い合わせのメールを送った。
彼は、来るとも知れない返事を一日千秋の思いで待つ。
果たして2日後にそれは届いたが、あまり前向きでないその内容に、彼は落胆したに違いない。

その人物にいくつか追加で聞きたいこともあったので、彼は懲りずにさらに2、3回メールを送った。藁にもすがる思いであったに違いない。
遠方から性懲りもなく何度も連絡をよこして来る者の熱意を挫くのも忍びないと思ったか、その人物は3回目の返信で次のようなことを彼に提案した。
我が研究室の教授は研究を行う意欲のある者を無下に断るような人物ではないから、一度直接会ってみてはどうか?

これを見て彼が狂喜したことは、言うまでもない。
宇宙医学の大家である教授と直接会って話すという、夢にすら見たことのない好機が、いま自分に訪れようとしている――。
彼は、なし得る限り最も敬意を込めたメールをその教授に書いて送った。

第15話に続く)

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DATE : 2011.02.02 (Wed) 01:15
第12話より続く)

あたかも女神の気まぐれの如く、運命はいつも前触れなしに突然やって来る。

獣医2年目の彼の楽しみの一つは、休日にネットカフェに行くことであった。
まだADSL接続もGoogleもなかった1998年、それは話題の最新スポットだったのである。
ガラス張りの建物の中に観葉植物などが置いてあるスタイリッシュな空間で、彼は高い椅子に腰かけて「ネットサーフィン」を楽しんでいた。

YahooやExciteなどで何回か検索を繰り返した後、彼は検索ウインドウに「宇宙 医学」と入れてみる。
ズラッと並ぶ検索結果の何ページ目かにあったサイトのリンクを何気なくクリックしたとき、彼の脊髄に電撃が走った。
それは某大学の「宇宙医学実験センター」のサイトだった。

***

時は3年前、彼が獣医学科の5年生だった1995年の夏に遡る。
何気なく大学の掲示板を眺めていた彼は、所狭しと貼りつけられた掲示物の中のある一枚を見た瞬間にフリーズした。
それは、宇宙開発事業団の「宇宙飛行士候補者 募集要項」であった。

そこに記されている「応募条件」の3番目には、次のようにある。
自然科学系の研究、設計、開発等に3年以上の実務経験を有すること。
(平成7年8月31日現在。なお、修士号取得者は1年、博士号取得者は3年の実務経験とみなします。)


これを見た彼は、宇宙飛行士になるためには博士号を取得するのが有利だろうと考えた。
実際、宇宙開発事業団初の宇宙飛行士である毛利衛さんは理学博士だし、アメリカの宇宙飛行士も博士号取得者が少なくないと聞く。
自分も何とかして博士号を取りたいものだ――。

しかし彼の実家は裕福ではなかったから、大学院に行きたいといっても援助は得られなかった。
彼を6年もの間大学に行かせる親としては、卒業後はすぐ働いて欲しいというのはもっともなことだ。
したがって、大学卒業後にそのまま大学院進学という選択肢は、彼にはなかったのである。

***

「宇宙医学実験センター」のサイトを映し出したディスプレーを食い入るように見ると、日本唯一のその施設を持つ大学は、何と彼の実家からギリギリ通える距離にあるではないか!
それなら、経済的な負担はかなり軽い――。
彼は「なぜ今まで気付かなかったか?!」と自分を少し責めさえしたが、まだネット検索も一般に普及しておらず、そもそも大学院進学自体が現実的な選択でなかったことを考えれば、それは無理からぬことかもしれない。

「とにかくコンタクトを取らねば!」
もともと臨床獣医師として勤務するのは、3年間と決めていた彼である。
まだ見ぬ宇宙医学実験センターとそこでの研究生活に思いを馳せ、彼はネットカフェを後にした。

第14話に続く)

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DATE : 2011.01.31 (Mon) 23:51
第11話より続く)

「誰か来てッ!!」
受診患者がエマージェンシーと見るや、動物病院全室にこだまする号令が診察室から飛ぶ。
他の診察室や処置室、入院室にいる獣医師や看護師はもちろん、時には受付嬢までもが飛んで行って、彼らの「戦争」が始まる。

瞬時に集まったスタッフは直ちにリーダーに気管カニューレと喉頭鏡を手渡し、患者の保定に回って気道確保を行う。
同時に他の者は輸液の準備を行い、気道確保チームの隙間をかいくぐるように静脈に手早く留置針を入れる。
次の瞬間には心電図が取り付けられ、必要と見るやAEDの電極を胸部に当てて「行くぞ!」の一言で電気ショックが走る。

一秒が生死を分ける現場で、時には8人に上る一隊が急患を取り囲んで救命を行うその姿は、嵐さながらである。
ある意味で軍隊のようなその組織では、チームワークは絶対であり、リーダーはその判断に全ての責任を負い、従うフォロワー達は彼あるいは彼女の意思を的確に汲み取って最大限の援護をしなければならない。
宇宙ステーションのクルーに求められるリーダーシップとフォロワーシップも、これと完全な別物ではあるまい。

彼の獣医師就任から1年が経ち、彼の病院は数人の新人を迎えた。
就任時には「戦場」で何をしていいか分からず、ただウロウロして「上官」の邪魔にならないようにするのが精一杯だった彼も、今では実戦を戦う戦力に成長していた。
逆にそうでもなければ、「戦力外通告」を受けていたに違いないが。

精神的に多少の余裕ができた彼は、英語に加えて数学と歴史と漢字の勉強も始めた。
宇宙飛行士に求められる「教養」を身につけるためである。
他はともかく数学などは獣医の仕事と完全に無縁な上、普通は人が好き好んでするものではないので、もし彼がそんなことをせっせとしていることが病院のスタッフに知れたら、彼は狂人扱いされたかもしれない。

ところで、英語も獣医には関係あるまいと思われるが、こちらは意外にも絶大な威力を発揮する。
彼の病院とその関連病院では、海外の最新文献を用いた合同勉強会を毎週開いており、その当番に当たった者はそれを訳して発表することが求められる。
彼ははじめ気付かなかったのだが、獣医師の腕では下っ端の彼も、英語に関してだけは、彼の上司や他院の院長を凌駕して追随を許さなかった。

彼の上司の一人である副院長は、獣医臨床における知識と技術の両面において他院の獣医師達からも一目置かれる鬼才であるが、時折彼を叱責するその副院長も、彼の英語力だけは認めざるを得ない。
ケンタッキー留学時代には実用から程遠かった彼の英語は、5年の年月の間に少しずつながら確実に鍛えられ、今や彼の一本の剣となっていた。
しかし彼は、その剣の力にまだまだ満足しているわけではない。

第13話に続く)

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DATE : 2011.01.31 (Mon) 01:29
第10話より続く)

「馬鹿野郎ッ!!」

酸素分圧モニターから「ピッ、ピッ」という音が鳴り響き、人工呼吸器で全身麻酔されているイヌが横たわる手術室から、聞く者を委縮させる甲高い怒号が飛ぶ。
オペを執刀している副院長が、輸液の三方活栓の操作にモタついている彼を厳しく叱責したのだ。
彼がその輝かしい社会人第一日目に有難く頂戴した言葉は、心の込もった「バカヤロー」であった。

獣医学生時代に基礎系の研究室に所属していた彼には実臨床の経験が全くなかったので、そんなヘマをやらかしたのも無理はない。
同期の新人獣医師は彼の他に2人あったが、その中で彼は一番経験が浅い。
つまり言い換えれば、彼はその動物病院で一番の劣等生ということになる。

学生時代に語学資格をいくつか取得し、獣医師国家試験を問題なくパスしてきた彼には多少のプライドもあったろうが、そんなものは初日にして粉々に砕かれた。
技術に定評があり、数100kmも遠方から患者が訪れてくることも珍しくないその動物病院は、しばしば「戦場」のような状態と化す。
実際、夜間に交通事故などの重篤な救急患者が立て続けに入る場合など、極度の緊張状態が数時間続きっぱなしになることもしばしばである。

また週に一回当直があり、その日は当然家に帰れない。
当直明けの日は日程上では休みなのだが、当直業務中に引き受けた入院患者の処置などで時間がかかり、気が付いたら夕方などということもある。
さらに、副院長(彼を叱責したその人)の当直の日には、レントゲン読影などの勉強会で深夜3時頃までかかることもしばしば。

それでなくても病院一の劣等生の彼は、日中の通常の業務においてもヘマをやらかさないよう常に緊張している必要がある。
出勤日の夜はコンビニで何か買ってワンルームに帰り、食べて風呂に入ったら倒れるように寝る、という有り様。
ある当直明けの日など、彼は疲労し切った体を公園のベンチの上に仰向けに乗せて空を見上げ、己の境遇を嘆かずにはいられなかった。

こんな状況では、呑気に英語の勉強をするなどという余裕は生まれまい。
それにもかかわらず、彼が初出勤から3週間後には『松本亨英作全集』の英作文問題をB5のルーズリーフ3枚に書きつけていることに、私は驚きを禁じ得ない。
もしかしたら、苛烈な仕事に追われる毎日にあって、「宇宙を目指して英語の勉強をする」ということが、彼にとって自分自身を取り戻す安らぎの行為ですらあったのかもしれない。

取れる保証のないたまの休日に英作文をするという1年は、あっという間に過ぎた。
大学時代に始めた『松本亨英作全集』全10巻の第7巻が終了し、それを記したB5のルーズリーフは431ページを数えた。
そうして彼は獣医師2年目の春を迎える。

第12話に続く)

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