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DATE : 2011.02.03 (Thu) 00:46
第13話より続く)

実家の比較的近くに「宇宙医学実験センター」を見付けて歓喜した彼であったが、だからといって彼の将来が何一つ約束されたわけではなかった。
それはどうやら大学の医学研究科の施設らしいが、医学研究科といえば、エリート医師が集まって崇高な研究を行う、気高い象牙の塔ではないか?
そもそも、彼のような一介の獣医、しかも優秀でもない獣医など、相手にすらされないのではないか?

しかし、宇宙を目指す彼には、何とかしてそこに近付くという選択肢しかなかった。
彼が思いつく限りの「最善手」は、自分の専門である医学を生かし、しかも宇宙と関係のある分野で博士号を取得することだからである。
もっとも、世間の良識ある人にしてみれば「最善手」は無難に生きることであり、彼の状況で宇宙飛行士を目指すことなど、正気の沙汰ではないのかもしれないが。

彼の愛読書『ツァラトゥストラはこう言った』の中で、主人公ツァラトゥストラはこう言う。
人間は、動物と超人のあいだに張りわたされた一本の綱なのだ、――深淵のうえにかかる綱なのだ。
渡るのも危険であり、途中にあるのも危険であり、ふりかえるのも危険であり、身震いして足をとめるのも危険である。


彼がしていることは、まさに綱渡りであった。
大学院生の募集があったとして、入試に受かる保証などあろうか?
仮に合格して医学研究科の大学院生になったとして、エリート集団に交じって医学博士号を取得できる見込みなど、いったいどこにあろう?

仕事を辞めて意気揚々と大学院に行ったはいいが、「はいダメでした」となったら、またノコノコと獣医に出戻るのだろうか?
万が一奇跡的に医学博士になったとして、そのあと仕事はどうするのか?
また逆に、宇宙飛行士を目指すことをやめればやめたで、戦わずして逃げたことを彼は一生後悔するに違いない。

彼とてその危険は十分に承知している。
しかし、自ら望むものを本気で求めるなら、「なんとかなるさ」と思ってその綱を前に進むしかない。
彼は、その綱渡りゲームに「人生」という札を賭けているのだ。

1998年6月20日、某大学の医学部付属である宇宙医学実験センターの技官の人物宛てに、彼は問い合わせのメールを送った。
彼は、来るとも知れない返事を一日千秋の思いで待つ。
果たして2日後にそれは届いたが、あまり前向きでないその内容に、彼は落胆したに違いない。

その人物にいくつか追加で聞きたいこともあったので、彼は懲りずにさらに2、3回メールを送った。藁にもすがる思いであったに違いない。
遠方から性懲りもなく何度も連絡をよこして来る者の熱意を挫くのも忍びないと思ったか、その人物は3回目の返信で次のようなことを彼に提案した。
我が研究室の教授は研究を行う意欲のある者を無下に断るような人物ではないから、一度直接会ってみてはどうか?

これを見て彼が狂喜したことは、言うまでもない。
宇宙医学の大家である教授と直接会って話すという、夢にすら見たことのない好機が、いま自分に訪れようとしている――。
彼は、なし得る限り最も敬意を込めたメールをその教授に書いて送った。

第15話に続く)

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