category: 宇宙飛行士試験
DATE : 2011.02.06 (Sun) 01:08
DATE : 2011.02.06 (Sun) 01:08
(第15話より続く)
出勤日には当たり前のように22~23時まで仕事がある上、毎週1回は必ず泊まりの当直があり、休日は英語や数学の勉強をしていたという彼の生活は、一体どれほど禁欲的でストイックだったのだろうか?
彼が獣医2年目だった1998年、彼の自宅のワンルームにはインターネットはおろかwindowsマシンすらなかった。
彼は白黒液晶の「ラップトップ」でMS-DOSを起動し、電話回線をアナログモデムに接続して「パソコン通信」に勤しんでいた。
彼が電話代と接続料金を気にしながら頻繁にアクセスしているのは、某ネットワークの「仲間募集」掲示板である。
はじめ彼は何気なくそれを眺めていたのだが、ズラっと並んだエントリーを見ると、たまに「メールくださーーい!!」などという書き込みがある。
投稿者は誰だと思って見てみると、女性である。
彼が面白半分に返信を送ってみたところ、なんと翌日にはその人から素敵なあいさつが来たではないか。
何でつまらぬはずがあろう?!
これに味をしめた彼は、「24歳OL。メル友募集中」などという書き込みを見るや、なりふり構わず片っ端から機関銃の如く返信を打ちまくった。
「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」で、彼はそのうち何人かとの定期的な文通の座を射止める。
歴史をひも解くと、その掲示板サービスは今日の「出会い系」サイトの源流のひとつであるらしい。
出会い系というと、殺人沙汰などもあって危険でいかがわしい感が拭えないが、当時はそんな犯罪や怪しげな業者もなく、人々が素朴に交友関係を築くことができた、牧歌的な古き良き時代であった。
男が女を求めるのに理由などあるまいが、異郷の地で苛烈な仕事に追われる彼にとって、休日の静寂と虚無感は身にしみたのかもしれない。
学生時代には女心を解さず、むしろそんなものに興味を持たぬことに誇りすら感じた彼であるが、今や事情は全く異なっていた。
彼はメール交換している相手の好きな本、映画、音楽、TVドラマなどを洗いざらい聞き出し、それを手当たり次第に見たり聴いたりして、世の女性の興味・関心・好みを貪欲に吸収していった。
人類の半数が女性であることを考えると、その世界を知らぬことは、この世の半分しか知らぬことといえるかもしれない。
それは、「第2の女」との終焉を思い出すとき、その原因に自分の人間としての「つまらなさ」があったのではないか、という反省にも基づいていた。
確かに、休日も休まず勉学や体の鍛錬に励むというのは立派には違いないが、そのような人物が必ずしも人に好かれたり尊敬されたりするわけではないということを、いつしか彼は悟っていた。
「精神の苦行僧」のような者は、宇宙飛行士にそぐわない。
それが功を奏してか、彼はついに文通相手との逢瀬に漕ぎつける。
世のプレイボーイからすれば彼の業など児戯に等しかろうが、彼はその「最盛期」には、過酷な日常の中でも週に3人の異なる女人と逢うなどという無体ぶりをカマしている。
しかし、これがあの1年前に公園のベンチに寝そべって己が不幸を嘆いた者かと、疑いたくなる程の豹変ぶりである。
また彼は、その夏にウインドサーフィンを始めた。
海のないところで育った彼にはそんな原風景などあるはずもないのだが、なぜか彼の心には、夕陽の海でウインドサーフィンをしている像が焼き付いていた。
それで、無性にやってみたくなったのである。
実際にやってみると、それは一日にして彼の心を捉えた。
青く大きな海と、肌を撫でて吹き抜ける風と、惜しみなくすべてを照らす黄金の太陽と――。
それさえあれば、彼は体の芯から体外に湧き出すような歓びに包まれる。
学生時代には、趣味ですら自分のミッションの一部に過ぎないものであったが、今の彼には宇宙を目指すこととウインドサーフィンを関連付けることなど、馬鹿馬鹿しくてどうでもよかった。
彼は、何か他のもののためでなく、自分自身のために心の底からそれを楽しむ。
海上で太陽を全身に浴びながらセイルを操る彼は、時間の存在を忘れている。
しかし彼は、宇宙の存在まで忘れたわけではない。
ある夏の日には、彼は朝にキーボードを弾き、昼は海でウインドサーフィンをした後、夜は『松本亨英作全集』の英作文をノートに5ページ書き綴っている。
女人と戯れるのもよいが、これこそが、彼が善しとする休日の過ごし方である。
彼がそのときこれを意識していたか否かは知る由もないが、彼が学生時代に読んだヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の一節には、次のようにある。
死は人生の出来ごとにあらず。ひとは死を体験せぬ。
永遠が時間の無限の持続のことではなく、無時間性のことと解されるなら、
現在のうちに生きる者は、永遠に生きる。
(第17話に続く)
出勤日には当たり前のように22~23時まで仕事がある上、毎週1回は必ず泊まりの当直があり、休日は英語や数学の勉強をしていたという彼の生活は、一体どれほど禁欲的でストイックだったのだろうか?
彼が獣医2年目だった1998年、彼の自宅のワンルームにはインターネットはおろかwindowsマシンすらなかった。
彼は白黒液晶の「ラップトップ」でMS-DOSを起動し、電話回線をアナログモデムに接続して「パソコン通信」に勤しんでいた。
彼が電話代と接続料金を気にしながら頻繁にアクセスしているのは、某ネットワークの「仲間募集」掲示板である。
はじめ彼は何気なくそれを眺めていたのだが、ズラっと並んだエントリーを見ると、たまに「メールくださーーい!!」などという書き込みがある。
投稿者は誰だと思って見てみると、女性である。
彼が面白半分に返信を送ってみたところ、なんと翌日にはその人から素敵なあいさつが来たではないか。
何でつまらぬはずがあろう?!
これに味をしめた彼は、「24歳OL。メル友募集中」などという書き込みを見るや、なりふり構わず片っ端から機関銃の如く返信を打ちまくった。
「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」で、彼はそのうち何人かとの定期的な文通の座を射止める。
歴史をひも解くと、その掲示板サービスは今日の「出会い系」サイトの源流のひとつであるらしい。
出会い系というと、殺人沙汰などもあって危険でいかがわしい感が拭えないが、当時はそんな犯罪や怪しげな業者もなく、人々が素朴に交友関係を築くことができた、牧歌的な古き良き時代であった。
男が女を求めるのに理由などあるまいが、異郷の地で苛烈な仕事に追われる彼にとって、休日の静寂と虚無感は身にしみたのかもしれない。
学生時代には女心を解さず、むしろそんなものに興味を持たぬことに誇りすら感じた彼であるが、今や事情は全く異なっていた。
彼はメール交換している相手の好きな本、映画、音楽、TVドラマなどを洗いざらい聞き出し、それを手当たり次第に見たり聴いたりして、世の女性の興味・関心・好みを貪欲に吸収していった。
人類の半数が女性であることを考えると、その世界を知らぬことは、この世の半分しか知らぬことといえるかもしれない。
それは、「第2の女」との終焉を思い出すとき、その原因に自分の人間としての「つまらなさ」があったのではないか、という反省にも基づいていた。
確かに、休日も休まず勉学や体の鍛錬に励むというのは立派には違いないが、そのような人物が必ずしも人に好かれたり尊敬されたりするわけではないということを、いつしか彼は悟っていた。
「精神の苦行僧」のような者は、宇宙飛行士にそぐわない。
それが功を奏してか、彼はついに文通相手との逢瀬に漕ぎつける。
世のプレイボーイからすれば彼の業など児戯に等しかろうが、彼はその「最盛期」には、過酷な日常の中でも週に3人の異なる女人と逢うなどという無体ぶりをカマしている。
しかし、これがあの1年前に公園のベンチに寝そべって己が不幸を嘆いた者かと、疑いたくなる程の豹変ぶりである。
また彼は、その夏にウインドサーフィンを始めた。
海のないところで育った彼にはそんな原風景などあるはずもないのだが、なぜか彼の心には、夕陽の海でウインドサーフィンをしている像が焼き付いていた。
それで、無性にやってみたくなったのである。
実際にやってみると、それは一日にして彼の心を捉えた。
青く大きな海と、肌を撫でて吹き抜ける風と、惜しみなくすべてを照らす黄金の太陽と――。
それさえあれば、彼は体の芯から体外に湧き出すような歓びに包まれる。
学生時代には、趣味ですら自分のミッションの一部に過ぎないものであったが、今の彼には宇宙を目指すこととウインドサーフィンを関連付けることなど、馬鹿馬鹿しくてどうでもよかった。
彼は、何か他のもののためでなく、自分自身のために心の底からそれを楽しむ。
海上で太陽を全身に浴びながらセイルを操る彼は、時間の存在を忘れている。
しかし彼は、宇宙の存在まで忘れたわけではない。
ある夏の日には、彼は朝にキーボードを弾き、昼は海でウインドサーフィンをした後、夜は『松本亨英作全集』の英作文をノートに5ページ書き綴っている。
女人と戯れるのもよいが、これこそが、彼が善しとする休日の過ごし方である。
彼がそのときこれを意識していたか否かは知る由もないが、彼が学生時代に読んだヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の一節には、次のようにある。
死は人生の出来ごとにあらず。ひとは死を体験せぬ。
永遠が時間の無限の持続のことではなく、無時間性のことと解されるなら、
現在のうちに生きる者は、永遠に生きる。
(第17話に続く)
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