category: 未選択
DATE : 2011.03.12 (Sat) 23:40
DATE : 2011.03.12 (Sat) 23:40
群馬県赤十字センターによると、
「東北地方の献血が壊滅状態にあります。献血へのご協力をよろしくお願いします。」
とある。
今日献血センターに行くと、たくさんの人でごった返しており「90分待ちです」と言われた。
それにもかかわらず受付をする人が後を絶たないのは、被災地の負傷者の人々に、何とか役に立ちたいという思いからだろう。
我々の思いが、有効な支援という形で伝わることを祈る。
東京電力が電力不足状態にある。
一般家庭の節電による電力供給の有効性は限定的との記事もあるが、わずかでも役に立つ可能性はあるし、節電で悪影響を及ぼすことはあるまい。
今後も電力会社などの情報に注意しつつ、被災地に可能な限り有効な支援を行いたい。
「東北地方の献血が壊滅状態にあります。献血へのご協力をよろしくお願いします。」
とある。
今日献血センターに行くと、たくさんの人でごった返しており「90分待ちです」と言われた。
それにもかかわらず受付をする人が後を絶たないのは、被災地の負傷者の人々に、何とか役に立ちたいという思いからだろう。
我々の思いが、有効な支援という形で伝わることを祈る。
東京電力が電力不足状態にある。
一般家庭の節電による電力供給の有効性は限定的との記事もあるが、わずかでも役に立つ可能性はあるし、節電で悪影響を及ぼすことはあるまい。
今後も電力会社などの情報に注意しつつ、被災地に可能な限り有効な支援を行いたい。
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category: 宇宙飛行士試験
DATE : 2011.03.11 (Fri) 02:15
DATE : 2011.03.11 (Fri) 02:15
(第39話より続く)
国際宇宙連盟会議(IAC)への「使節団」に選抜されるべく選考事務局に渾身の英文エッセイを送った彼は、ここで一息つくかに思われるが、7月中旬とされている結果発表まで彼はただ待っているだけではなかった。
実は、ベールに包まれていたIAC派遣事業の全貌が明らかになった1週間ほど後に、彼は教授からもう一つの衝撃的な情報を得ていたのだ。
NASDAの「宇宙環境利用研究システム・宇宙環境利用研究センター成果報告会」が、来る6月14日、日本の宇宙開発の中心地であるつくば宇宙センターで行われるというのである。
未だかつて訪れたことのない、NASDAの本拠地。
大学生のときも獣医師のときも、おぼろげながらに想像するのみだったその遠い存在が、いま期せずして急激に接近しようとしている。
彼は教授からの転送メールを受信するなり、直ちにそのイベントの参加計画を練り始めた。
交通を調べてみると、彼の実家から東京駅までが3時間、東京駅からつくば宇宙センターまでが1時間。乗り継ぎや会場への移動なども考えると、当日の朝に自宅を出ていたのでは10時のイベント開始に間に合わない。
東京で前泊という手もあるが、最愛のワインレッドメタリックのシルビアでさえ経済的困難から手放してしまっている彼には、そのような余裕はない。
コストカットのためにスーツを持って夜行バスで東京に向かう旅には、ある種の哀愁すら漂っているのだが、今や彼の新たな聖地となったその場所に赴くには、むしろ苦難の貧乏旅行の方がサマになるのかもしれない。
2001年6月14日の朝、空気も澄んで晴れ渡った青い空と、つくば宇宙センターの白く輝くビルとが、素晴らしいコントラストをなしている。
東京駅から1時間あまりのバス(まだつくばエクスプレスが走っていない当時は事実上唯一の交通手段)を降りて正門で受付を済ませた彼は、会場の研究開発棟に向かうのだが、53万平方メートルの広大な敷地内に様々なビルが点在する中のその場所は、初めはちょっと分かりにくい。
あちらかこちらかと頼りなさげに辺りを見回しながら歩くうち、何気なく目に入った歩道の脇の標識の8文字が、不意に彼の脳天を貫いた!
「宇宙飛行士養成棟」
その入り口に歩いていくと、ガラスのスライドドア越しにEVA(船外活動)用の真っ白い宇宙服の堂々たるディスプレーが見える。
彼が目指す宇宙飛行士たち――毛利さん、向井さん、土井さん、若田さん、野口さん、古川さん、星出さん、角野さん――は、日本にいる間はおそらくここを拠点に活動し、そのうちの何人かは、いま実際ここにいるのかもしれない!
勝手に入ったら怒られるだろうか――?
いつぞやの音楽棟を彷彿させる状況だが、流石にそこはセキュリティーが堅固で、ガラス越しに宇宙服と対峙してドアの真正面に立った彼は、残念ながらIDカードがなければその中に入れないことを発見した。
「いつかここに入るときが来るのだろうか・・・」
次にそこを訪れる時に思いを馳せつつ、彼は目的のイベント会場に移動した。
10時30分から17時まで行われたNASDAの成果発表会は、会場や発表内容や参加者のやり取りなど、彼にとって新鮮で興味深いものであった。
彼のもう一つの収穫は、NASDAのライフサイエンス分野にどのような人物がいるかを知り、かつその人物達をその目で間近に見たことである。
彼は、NASDAの組織・人員構成の偵察と、宇宙飛行士養成棟との予想外の出会いという成果を引っさげて、つくば宇宙センターを後にした。
このNASDAとのファーストコンタクトは彼にとって歴史的な出来事だが、その3日後には、今回で5回目となる因縁の英検1級の試験が彼を待っている。
(第41話に続く)
国際宇宙連盟会議(IAC)への「使節団」に選抜されるべく選考事務局に渾身の英文エッセイを送った彼は、ここで一息つくかに思われるが、7月中旬とされている結果発表まで彼はただ待っているだけではなかった。
実は、ベールに包まれていたIAC派遣事業の全貌が明らかになった1週間ほど後に、彼は教授からもう一つの衝撃的な情報を得ていたのだ。
NASDAの「宇宙環境利用研究システム・宇宙環境利用研究センター成果報告会」が、来る6月14日、日本の宇宙開発の中心地であるつくば宇宙センターで行われるというのである。
未だかつて訪れたことのない、NASDAの本拠地。
大学生のときも獣医師のときも、おぼろげながらに想像するのみだったその遠い存在が、いま期せずして急激に接近しようとしている。
彼は教授からの転送メールを受信するなり、直ちにそのイベントの参加計画を練り始めた。
交通を調べてみると、彼の実家から東京駅までが3時間、東京駅からつくば宇宙センターまでが1時間。乗り継ぎや会場への移動なども考えると、当日の朝に自宅を出ていたのでは10時のイベント開始に間に合わない。
東京で前泊という手もあるが、最愛のワインレッドメタリックのシルビアでさえ経済的困難から手放してしまっている彼には、そのような余裕はない。
コストカットのためにスーツを持って夜行バスで東京に向かう旅には、ある種の哀愁すら漂っているのだが、今や彼の新たな聖地となったその場所に赴くには、むしろ苦難の貧乏旅行の方がサマになるのかもしれない。
2001年6月14日の朝、空気も澄んで晴れ渡った青い空と、つくば宇宙センターの白く輝くビルとが、素晴らしいコントラストをなしている。
東京駅から1時間あまりのバス(まだつくばエクスプレスが走っていない当時は事実上唯一の交通手段)を降りて正門で受付を済ませた彼は、会場の研究開発棟に向かうのだが、53万平方メートルの広大な敷地内に様々なビルが点在する中のその場所は、初めはちょっと分かりにくい。
あちらかこちらかと頼りなさげに辺りを見回しながら歩くうち、何気なく目に入った歩道の脇の標識の8文字が、不意に彼の脳天を貫いた!
「宇宙飛行士養成棟」
その入り口に歩いていくと、ガラスのスライドドア越しにEVA(船外活動)用の真っ白い宇宙服の堂々たるディスプレーが見える。
彼が目指す宇宙飛行士たち――毛利さん、向井さん、土井さん、若田さん、野口さん、古川さん、星出さん、角野さん――は、日本にいる間はおそらくここを拠点に活動し、そのうちの何人かは、いま実際ここにいるのかもしれない!
勝手に入ったら怒られるだろうか――?
いつぞやの音楽棟を彷彿させる状況だが、流石にそこはセキュリティーが堅固で、ガラス越しに宇宙服と対峙してドアの真正面に立った彼は、残念ながらIDカードがなければその中に入れないことを発見した。
「いつかここに入るときが来るのだろうか・・・」
次にそこを訪れる時に思いを馳せつつ、彼は目的のイベント会場に移動した。
10時30分から17時まで行われたNASDAの成果発表会は、会場や発表内容や参加者のやり取りなど、彼にとって新鮮で興味深いものであった。
彼のもう一つの収穫は、NASDAのライフサイエンス分野にどのような人物がいるかを知り、かつその人物達をその目で間近に見たことである。
彼は、NASDAの組織・人員構成の偵察と、宇宙飛行士養成棟との予想外の出会いという成果を引っさげて、つくば宇宙センターを後にした。
このNASDAとのファーストコンタクトは彼にとって歴史的な出来事だが、その3日後には、今回で5回目となる因縁の英検1級の試験が彼を待っている。
(第41話に続く)
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category: 宇宙飛行士試験
DATE : 2011.03.10 (Thu) 03:18
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(第38話より続く)
彼がNASDAのウェブサイトをインターネットエクスプローラのホームページにしたのはいつからだろうか。
ブラウザを立ち上げる度にそのサイトが開くようにしておけば、探している重要なニュースを見逃すまい。
そのようにして毎回NASDAのサイトのWhat’s new欄に目を凝らす彼は、注意深く獲物を捜し求める野獣に似ている。
長い長い空腹で苛立ちを募らせていた野獣の双眸に、獲物と思しきものが今ちらりとのぞく。
5ヶ月間見張り続けたこのサイトのWhat’s newに、つい先日まで見当たらなかった、小さなフォントで書かれた一文があるではないか。
「第52回国際宇宙連盟会議の参加学生の募集を開始しました。」
野獣の被毛が軽く逆立つ。
What’s newに新しく現れたそのリンクをクリックすると、謎に包まれていたIACへの学生派遣事業の全容が姿を現す。
獲物を眼中に捉えた野獣は、瞬きする間も惜しみつつ、これから始める狩りのための状況判断を始める。
会期:2001年10月1日~5日、開催地:フランス・トゥールーズ、宇宙開発に関心のある16人の学生を募集。
選抜は2次まで行われ、1次選抜の課題は宇宙開発に関する英文エッセイ1枚。
所属機関の指導者の推薦状を添え、6月22日に必着の事。
この募集要項を見た彼は、選抜に重要なポイントは3つあると踏んだ。
すなわち所属・専攻が相応しいこと、英語の能力があること、そして、何より宇宙への情熱があること。
宇宙医学実験センターを擁する環研であれば所属は問題なかろうから、勝負は、いかに熱意に満ちたエッセイを、堪能な英文で書くかにかかっている――。
これまでの8年間彼に許された「獲物」といえば、英検の試験やマラソンのレースくらいのものだ。
未だその獲得に至らず四苦八苦しているものの、それとて彼の主目的からすればオードブルの類に過ぎない。
いま彼は、初めて「宇宙」という名の付いた最上級の獲物を、その視界の圏内にはっきりと捉えたのである。
野獣がこの上ない歓喜に満ちたときに起こるのは、笑いの表情ではない。
それは脊髄にじわりと走る電気的興奮であり、体表に立つ鳥肌であり、全身にたぎるアドレナリンの血潮である。
この期に及んで躊躇するいかなる理由も見出せない彼は、最高の機会を与えられたことを天に感謝しつつ、長らく待ち続けたその獲物をめがけ、咆哮せんばかりの勢いでまッしぐらに走り出す。
彼にとって、これ以上におもしろくして、かつ重大な英作文など他にあろうか?
これを前にしては、教材としては素晴らしい『松本亨英作全集』の英作文も、自分の将来とは直接無関係な、無味乾燥な翻訳作業に過ぎない。
いま彼に求められているのは、8年間ありったけ溜め込んできた宇宙への思いを、8年間ありったけ鍛えてきた英語でもってぶッつけることであり、しかもそれに、他ならぬ彼の未来がかかっているのである。
しかし、これまでいかに英作文の練習を積んできたとはいえ、エッセイを完全無欠なものとするためにはネイティブによる添削が絶対に必要だと考えた彼は、万全を期して心当たりの人物にそれを頼んだ。
大学院生の彼は今年の4月からネイティブ講師による英会話の講義に出席していたので、その講師に事情を説明して添削を依頼したのである。
講師は快くそれを引き受け、彼の原稿を1日足らずで添削して返すと、彼に応援の言葉を送った。
エッセイができると後は所属機関の指導者の推薦状だが、こちらは彼の研究室の教授が快諾し、立派な文面をしたためて彼に渡した。
IAC派遣事業という獲物を前にして野獣さながらであった彼も、研究室の教授と英語の講師の助力なくしては無力だったことを思うと、彼らに感謝の意を表さずにはいられない。
審査員に熱意を示すにはギリギリよりも早目がよいと考えた彼は、期限より2週間早い6月8日、Join us at IAF2001事務局にエッセイ原稿と推薦状とを書留で発送した。
日頃お祈りの類をしない彼ではあるが、人が何事かの成就を心の底から求めるときは必ずそうするように、この時ばかりは我が事の成らんことを真摯に祈る。
(第40話に続く)
彼がNASDAのウェブサイトをインターネットエクスプローラのホームページにしたのはいつからだろうか。
ブラウザを立ち上げる度にそのサイトが開くようにしておけば、探している重要なニュースを見逃すまい。
そのようにして毎回NASDAのサイトのWhat’s new欄に目を凝らす彼は、注意深く獲物を捜し求める野獣に似ている。
長い長い空腹で苛立ちを募らせていた野獣の双眸に、獲物と思しきものが今ちらりとのぞく。
5ヶ月間見張り続けたこのサイトのWhat’s newに、つい先日まで見当たらなかった、小さなフォントで書かれた一文があるではないか。
「第52回国際宇宙連盟会議の参加学生の募集を開始しました。」
野獣の被毛が軽く逆立つ。
What’s newに新しく現れたそのリンクをクリックすると、謎に包まれていたIACへの学生派遣事業の全容が姿を現す。
獲物を眼中に捉えた野獣は、瞬きする間も惜しみつつ、これから始める狩りのための状況判断を始める。
会期:2001年10月1日~5日、開催地:フランス・トゥールーズ、宇宙開発に関心のある16人の学生を募集。
選抜は2次まで行われ、1次選抜の課題は宇宙開発に関する英文エッセイ1枚。
所属機関の指導者の推薦状を添え、6月22日に必着の事。
この募集要項を見た彼は、選抜に重要なポイントは3つあると踏んだ。
すなわち所属・専攻が相応しいこと、英語の能力があること、そして、何より宇宙への情熱があること。
宇宙医学実験センターを擁する環研であれば所属は問題なかろうから、勝負は、いかに熱意に満ちたエッセイを、堪能な英文で書くかにかかっている――。
これまでの8年間彼に許された「獲物」といえば、英検の試験やマラソンのレースくらいのものだ。
未だその獲得に至らず四苦八苦しているものの、それとて彼の主目的からすればオードブルの類に過ぎない。
いま彼は、初めて「宇宙」という名の付いた最上級の獲物を、その視界の圏内にはっきりと捉えたのである。
野獣がこの上ない歓喜に満ちたときに起こるのは、笑いの表情ではない。
それは脊髄にじわりと走る電気的興奮であり、体表に立つ鳥肌であり、全身にたぎるアドレナリンの血潮である。
この期に及んで躊躇するいかなる理由も見出せない彼は、最高の機会を与えられたことを天に感謝しつつ、長らく待ち続けたその獲物をめがけ、咆哮せんばかりの勢いでまッしぐらに走り出す。
彼にとって、これ以上におもしろくして、かつ重大な英作文など他にあろうか?
これを前にしては、教材としては素晴らしい『松本亨英作全集』の英作文も、自分の将来とは直接無関係な、無味乾燥な翻訳作業に過ぎない。
いま彼に求められているのは、8年間ありったけ溜め込んできた宇宙への思いを、8年間ありったけ鍛えてきた英語でもってぶッつけることであり、しかもそれに、他ならぬ彼の未来がかかっているのである。
しかし、これまでいかに英作文の練習を積んできたとはいえ、エッセイを完全無欠なものとするためにはネイティブによる添削が絶対に必要だと考えた彼は、万全を期して心当たりの人物にそれを頼んだ。
大学院生の彼は今年の4月からネイティブ講師による英会話の講義に出席していたので、その講師に事情を説明して添削を依頼したのである。
講師は快くそれを引き受け、彼の原稿を1日足らずで添削して返すと、彼に応援の言葉を送った。
エッセイができると後は所属機関の指導者の推薦状だが、こちらは彼の研究室の教授が快諾し、立派な文面をしたためて彼に渡した。
IAC派遣事業という獲物を前にして野獣さながらであった彼も、研究室の教授と英語の講師の助力なくしては無力だったことを思うと、彼らに感謝の意を表さずにはいられない。
審査員に熱意を示すにはギリギリよりも早目がよいと考えた彼は、期限より2週間早い6月8日、Join us at IAF2001事務局にエッセイ原稿と推薦状とを書留で発送した。
日頃お祈りの類をしない彼ではあるが、人が何事かの成就を心の底から求めるときは必ずそうするように、この時ばかりは我が事の成らんことを真摯に祈る。
(第40話に続く)
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category: 宇宙飛行士試験
DATE : 2011.03.09 (Wed) 07:28
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(第37話より続く)
国際宇宙連盟会議(IAC: International Astronautical Congress、別名IAF会議)は、1950年にパリで第1回会議が行われて以来、10月の始めに5日間ほどの日程で毎年開催地を変えて行われている。
彼が無重量セミナーで出会った医学生の男は、1999年にオランダ・アムステルダムで行われた第50回会議に参加したらしい。
NASA、RKA(ロシア宇宙庁)、ESA(ヨーロッパ宇宙機関)など世界の宇宙機関の長官や、宇宙開発に関わる技術者や政策決定者など約1500人が開催地に集結し、宇宙開発の最新の状況や今後のあり方などについて発表を行う、世界最大の宇宙関連会議である。
この会議自体が興味深いものだが、さらに彼の興味を引いたのは、日本の宇宙開発事業団(NASDA)が学生を10数名選抜してこのIACに派遣するという事業を、1999年から始めたらしいことだ。
その学生達は、言ってみれば日本を代表する学生使節団とでもいうべき存在であるから、日本で最も宇宙に近い若者達と言ってもあながち間違いではあるまい。
その「使節団」の一員となれば、日本人宇宙飛行士候補者の選抜を行うNASDAとのパイプも、当然太くなるに違いない。
2年前のIACに参加した男の話から小さからぬ刺激を受けた彼は、IACに関する情報をネットであちこち探し回る。
どうやらつい2、3ヶ月前には、NASDAの選抜で10数人の学生がIACリオ・デジャネイロ大会に参加したらしい。
しかし、彼が最も求めている次回大会への派遣事業についての情報は、ありとあらゆるところをしつこく探し回っても、気配すら感じられない。
情報によると前々回と前回の派遣事業の告知は4月末頃に行われたようだから、それまで待つしかあるまいという結論に彼は達した。
西暦2000年の末。
彼が宇宙を目指す決意をして以来、英語の勉強や身体の鍛錬や医学研究科への入学など、振り返ってみれば一人の人間にとって膨大なエネルギーが費やされてきたものの、客観的に見ればこれといって主だった成果もないまま、8年の歳月が流れていた。
そして、我らが地球は21世紀を迎える。
それは新しい世紀の始まりであると同時に、新しい千年紀の始まりでもある。
宇宙の片田舎の地球人が考え出した暦の一つと言ってしまえばそれまでだが、それでも人は新しいミレニアムに、多かれ少なかれそれぞれの期待を抱いていることだろう。
彼は、新年早々の1月18日にNASDA主催の「若田宇宙飛行士帰国後連絡会」に参加する。
そこには日本人宇宙飛行士の若田光一さんをはじめ、国際宇宙ステーションの組み立てを任務とするSTS-92ミッションから帰還した世界の宇宙飛行士達が集結しており、彼らの話を直に聞くことができる。
本物の宇宙飛行士は黙って座っていてもオーラを放っているもので、それを至近距離で目の当たりにした彼は、彼らからまた新たな活動のエネルギーを得たに違いない。
環研での研究や、通学電車でのシャドーイングの日々は過ぎ、2001年は4月を迎える。
研究が軌道に乗り始めた大学院生活は相変わらず忙しいものだが、最大の関心事であるIACは常に彼の脳裏にあり、彼は定期的にNASDAのホームページなどのチェックを繰り返していた。
それにもかかわらず、待てど暮らせど全く音沙汰のない状況に、彼は焦りや苛立ちさえ感じていたかもしれない。
しかし2001年5月16日、ついに彼は待ち焦がれていたものをNASDAのサイト上に発見する。
(第39話に続く)
国際宇宙連盟会議(IAC: International Astronautical Congress、別名IAF会議)は、1950年にパリで第1回会議が行われて以来、10月の始めに5日間ほどの日程で毎年開催地を変えて行われている。
彼が無重量セミナーで出会った医学生の男は、1999年にオランダ・アムステルダムで行われた第50回会議に参加したらしい。
NASA、RKA(ロシア宇宙庁)、ESA(ヨーロッパ宇宙機関)など世界の宇宙機関の長官や、宇宙開発に関わる技術者や政策決定者など約1500人が開催地に集結し、宇宙開発の最新の状況や今後のあり方などについて発表を行う、世界最大の宇宙関連会議である。
この会議自体が興味深いものだが、さらに彼の興味を引いたのは、日本の宇宙開発事業団(NASDA)が学生を10数名選抜してこのIACに派遣するという事業を、1999年から始めたらしいことだ。
その学生達は、言ってみれば日本を代表する学生使節団とでもいうべき存在であるから、日本で最も宇宙に近い若者達と言ってもあながち間違いではあるまい。
その「使節団」の一員となれば、日本人宇宙飛行士候補者の選抜を行うNASDAとのパイプも、当然太くなるに違いない。
2年前のIACに参加した男の話から小さからぬ刺激を受けた彼は、IACに関する情報をネットであちこち探し回る。
どうやらつい2、3ヶ月前には、NASDAの選抜で10数人の学生がIACリオ・デジャネイロ大会に参加したらしい。
しかし、彼が最も求めている次回大会への派遣事業についての情報は、ありとあらゆるところをしつこく探し回っても、気配すら感じられない。
情報によると前々回と前回の派遣事業の告知は4月末頃に行われたようだから、それまで待つしかあるまいという結論に彼は達した。
西暦2000年の末。
彼が宇宙を目指す決意をして以来、英語の勉強や身体の鍛錬や医学研究科への入学など、振り返ってみれば一人の人間にとって膨大なエネルギーが費やされてきたものの、客観的に見ればこれといって主だった成果もないまま、8年の歳月が流れていた。
そして、我らが地球は21世紀を迎える。
それは新しい世紀の始まりであると同時に、新しい千年紀の始まりでもある。
宇宙の片田舎の地球人が考え出した暦の一つと言ってしまえばそれまでだが、それでも人は新しいミレニアムに、多かれ少なかれそれぞれの期待を抱いていることだろう。
彼は、新年早々の1月18日にNASDA主催の「若田宇宙飛行士帰国後連絡会」に参加する。
そこには日本人宇宙飛行士の若田光一さんをはじめ、国際宇宙ステーションの組み立てを任務とするSTS-92ミッションから帰還した世界の宇宙飛行士達が集結しており、彼らの話を直に聞くことができる。
本物の宇宙飛行士は黙って座っていてもオーラを放っているもので、それを至近距離で目の当たりにした彼は、彼らからまた新たな活動のエネルギーを得たに違いない。
環研での研究や、通学電車でのシャドーイングの日々は過ぎ、2001年は4月を迎える。
研究が軌道に乗り始めた大学院生活は相変わらず忙しいものだが、最大の関心事であるIACは常に彼の脳裏にあり、彼は定期的にNASDAのホームページなどのチェックを繰り返していた。
それにもかかわらず、待てど暮らせど全く音沙汰のない状況に、彼は焦りや苛立ちさえ感じていたかもしれない。
しかし2001年5月16日、ついに彼は待ち焦がれていたものをNASDAのサイト上に発見する。
(第39話に続く)
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