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DATE : 2024.11.23 (Sat) 17:26
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DATE : 2011.01.22 (Sat) 02:44
第4話より続く)

彼が初めて受けた英検準1級の二次試験の結果は、不合格Bであった。

一体何が原因だったか?
よくよく考えてみれば、彼が英語で誰かと話す機会といえば、2年前にケンタッキーへ短期留学したとき(それもたった3週間)を除けば、彼が生まれてこの方皆無に等しかった。
人間を相手に英語で話すというスキルが未発達であったのは、至極当然と言えよう。

その教訓を基に、彼はECCのフリータイムレッスンを受けることにした。
英検準1級の2次試験合格という、明確な目標のために。

半年分の受講料は彼にとって決して安い額ではなかったが、彼はためらわずにそれを払った。
どこかで見た「語学習得に重要なのは、時間と金をかけることである」という教えを受け入れていたからである。
問題集一冊にしろ、身銭を切って買うと取り組みの真剣さが全く違う。逆にいえば、生活の糧を投じている時点でその人は既に本気なのだ。

彼は宇宙飛行士になるために、時間と金とエネルギーという彼の持てる全てを注ぎ込んだ。
彼自身は自覚していなかったが、もしかすると彼はそんな自分に陶酔していたのかもしれない。
しかし、そこには単なるマスターベーション以上の何かがあったのではなかったか?

ECCのレッスンは一回40分程度で、毎回何かトピックを決めてネイティブ講師と話すという形式だった。
レッスン中に言おうとして言えなかったことをメモして、帰ってから調べるというのは一見地味な作業だが、それを通して少しずつ確実に会話力は鍛えられていく。
彼は週に1、2回そのレッスンを受けるのを楽しんだ。

1995年11月26日。
ECCのレッスンを受け始めてから3か月ほど経ったその日、彼は英検準1級の二次試験に再び挑んだ。
結果は合格であった。

では彼がペラペラ話せるようになったかといえば、それには程遠かった。
彼はまだ、英語で会話する(というよりは、それを試みると言う方が近いときも間々ある)とき、自分の意思をうまく伝えることができずにフラストレーションを感じることがほとんどだったからである。
宇宙飛行士が世界各国の同僚などと話すとなると、これではまだまだお話になるまい。

とはいえ、初対面の相手との挨拶から自己紹介への流れ、相手の話への相槌の打ち方や分からなかったときの尋ね方、言葉が詰まった時に「How can I say?(何て言ったらいいのかな)」などとかわすコミュニケーション技術を身につけたのは、おそらくこの頃だろう。
確かなことは、ECCでの約3か月のレッスンで、彼はネイティブを前にしても怖気づくことがなくなり、ある程度自身を持って接することができるようになったことだ。

1995年12月5日、彼は英検準1級の合格証書を手にした。
英語習得という山中にあって、準1級はまだその中腹に過ぎないが、2級の時よりは周りの景色がよく見える。
踊り場でひとときの清々しさを味わった後、彼は再び登山道に戻って上を見上げた。

山はようやくその頂き、あるいは彼にはそう映るもの、を現し始めた。

英検1級。

かつて彼にとって雲の上の存在であり、それを目指すなど畏れ多かったもの。
登り始めたときには見ることすらできなかったそれが、いま彼の眼前にある。


宇宙飛行士には、英語による流暢なコミュニケーション能力が求められる。
彼はここまでのところ、その習得に特に注力してきたようだ。
しかし、宇宙飛行士になるために彼がしていることは、それだけではなかった。

第6話に続く)

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DATE : 2011.01.21 (Fri) 03:05
第3話より続く)

彼が英検準1級を受験していた1995年。

一本の電話が彼にかかってきたのは、それに先立つこと1、2年前、彼が英語を学ぶ決意を固めた頃だったと思われる。
相手は彼の中学時代の見目麗しい同級生である。
彼女とはもう5年以上連絡が途絶えていた。

女子から電話をもらうことなど皆無に等しい肉食系非モテ男子の彼が狂喜したことは、言うまでもない。
彼にまつわる女性は三人あるが、そのうちの一人が彼女である。

***

彼女は外国からの帰国子女。
彼の中学校では、彼女の英語の発音に並ぶ者はいない。
文武両道に秀でていた彼女に、いつしか彼は好意と崇敬の念を抱くようになる。

彼女は誰にでも分け隔てなく接し、敵を作らず、誰からも愛されるタイプの人だった。
彼女が生徒会の副会長に立候補したとき、得票数を総なめにしたことが、それを裏付けている。
一方、生徒会長に立候補した彼はどうだったか。
5人の候補者が乱立する激戦ではあったが、人望もカリスマもない彼は、惨憺たる敗北を喫したのであった。
彼女は彼にとってあらゆる意味で眩しい存在であり、彼が自分自身を彼女よりも小さなものと認識していたのは、もっともなことだ。

いつだったか、彼女が将来獣医になりたいと言うのを彼は聞いた。
そのとき彼が何になりたいと思っていたかは、当の本人にすら定かではない。
ただそれが宇宙飛行士でなかったことは確かだろう。
なぜなら、彼はそんな大それた野望を抱く程の器ではなかったからである。

中学を卒業して、彼と彼女は別々の高校に進学した。
彼が自分の気持ちを伝える手紙を彼女に渡したのは、卒業式の日だったか。
数日後、彼の許には丁重なお断りの便りが届いた。

***

あれから5、6年後。
かつての憧れの人からの電話に、一体何の話かと受話器に耳を押しつけていた彼は、全身からアドレナリンを噴出させ、心拍増加、血圧上昇、瞳孔散大の前傾姿勢だったに違いない。
しかして彼女の話は、最近彼の大学の近くに妹と二人で下宿しているから、一度会おうということだった。
彼女の声が時々上ずっていることが、受話器越しにも分かる。

普通の人間であれば、この状況に何らかの意味を見出し、それを最大限に活用しようとするはずである。
ところが彼ときたら、この手のことにどうしようもないほどの鈍感男なのだ。
私が分析する限り、これが彼を非モテたらしめる主要な要因である。
このイライラするほど空気が読めない彼の性質は、今後も嫌というほど彼の好機を潰し続けることになる。

彼は彼女に会いには行ったものの、当たり障りのない世間話を延々と続けた挙げ句、次のアポを取り付けることなく「それじゃあ」などといって帰ってしまった。
世の中にこれ以上の愚行があるだろうか!?
私なら、絶対にそんなことはしない。
このとき彼はその決意を既にしていたにもかかわらず、宇宙飛行士を目指していることを彼女には伝えていない。まだ準備不足なことを十分に認識していたからである。

ところで彼が獣医学科の学生であるのは、偶然ではない。
賢明なる読者は大方お察しのことだろう。
彼女は、彼の運命を方向付けた女なのだ。
初対面の人にはなぜ獣医なのかをたいてい聞かれるが、その度に彼はしどろもどろになったものだ。
彼がその問いに対して社会人的な模範解答をスラスラ返せるようになるのは、まだ先のことである。

ちなみに5年前に獣医になりたいと言った彼女本人はといえば、某会社の社長秘書になったということだ。
何という運命の皮肉。

5年ぶりの再会の日から2、3週間の後、彼は偶然を装って彼女の下宿の前で「ばったり」彼女に出くわすのだが、彼女には何か用があったらしく、ろくに話もできないままバイバイとなってしまった。
無念。
当時まだストーカー規制法がなかったのは、彼にとって幸いだったか否か。。

それきり彼は二度と彼女に会うことはなかった。
彼女は彼の運命を変えた女ではあったが、運命の女ではなかった。
あれは、彼の前に忽然として現れて消えた、一時の甘美な奇跡。
だがそれでいいのだ。
彼女は、彼の記憶の中に生き続ける。永遠に美しいまま。


これで彼も英語の学習に集中できるというものだ。
果たして、心血を注いで彼が臨んだ英検準1級の二次試験の結果や如何に?

第5話に続く)

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DATE : 2011.01.20 (Thu) 02:38
第2話より続く)

宇宙飛行士になるために英語の勉強が必要であることを痛感した彼ではあるが、はたして何から手をつけたものか?
ひとまず目標が必要だと考えた彼は、検定を道標にすることを思いつく。
彼が選んだのは、実用英語技能検定、すなわち英検である。

英語の習得度を測る指標には他にもTOEICやTOEFLなどがあるが、これらの試験はスコアに有効期限がある。
英検にはそれがなく、生涯資格であることが彼の気に入った。
また当時英検は文部省認定であり、その他の検定試験と比べて――少なくとも日本国内では――権威ある資格だったように思われる。

それに、結果が連続的な点数で出るよりも、級という関門を突破していく方がドラマチックではないか。

海外初体験では無謀な計画を立てた彼だったが、英検で受験する級に関しては彼の選定は妥当だった。
彼が選んだのは2級である。
数か月勉強すれば、十分に合格が狙えると踏んだからだ。

その目算は当たった。
本屋で買ってきた問題集を数冊こなしたことで、彼の英語力はいくらか上がったに違いない。
1994年12月、彼は英検2級の合格証書を手にした。
この時点では、彼にはまだ英検の頂きは見えなかった。
山のふもとで周りを木に囲まれているときには、自分がどの位置にいて山頂がどこにあるか、分からないものだ。

それでも次にどこに行けばいいかは分かる。
目標は、準1級である。
英検準1級の問題集を何冊か買い込んで、それを中心に彼は勉強を進める。

また時期は定かではないが、彼は語学の習得には環境が重要だと考えて、とにかく可能な限り英語を生活に取り込みはじめた。
それに用いたのは、輸入物の小説のペーパーバックや海外ドラマなどである。

通学の電車やバスの中で英語の小説を読んでいるのは、はた目には格好よく映るかもしれないが、その実彼はあまり内容を理解していなかった。
単語は難しいし、文学的な表現はなおさら難しいので、カタツムリのようなスピードでしか読めないにもかかわらず、意味はよくわからないという始末。
英語にできるだけ接するという方向性は間違っていないが、効率という点で見るとあまりいい勉強法とは言えないかもしれない。

ただ注目に値するのは、彼がそれを1冊や2冊でやめてしまうことなく続けたことである。
Amazonはおろかインターネットすら大衆に普及していなかったその時代、彼は本屋で洋書を注文して買った。
彼が読んだものには、『Jurassic Park』(ジュラシック・パーク)や『Flowers for Algernon』(アルジャーノンに花束を)などがある。

リスニングの勉強には、海外ドラマを取り入れた。
宇宙飛行士を目指す彼は、当然SF好きである。
彼は、深夜枠で毎週放送される『Star Trek: The Next Generation』(新スタートレック)を、毎週録画して英語で観た。

無料で見ることのできるテレビの2カ国語放送は、語学習得の強力な味方だ。
裕福でない彼にとっては特にそうである。
英語に接する機会が事実上皆無に等しい日本では、それは非常に貴重な環境だと言っていい。

しかし、こちらもペーパーバックに負けず劣らず意味不明である。
初めの頃など、1時間のドラマ中に聞き取ることができたのは「Yes」と「No」くらいだ。
これは冗談抜きの話である。

アナログ放送の時代には英語の字幕など出せないから、リスニングは耳に頼るしかない。
ただ、TVドラマがリスニングの勉強に有利な点は、言っている言葉が追えなくても絵を見ていれば概ね意味が分かり、「こう言っていたのかな?」と推測できることだ。
その点、人物の会話が中心で筋が複雑なヒューマンドラマよりは、アクションシーンの多いSFの方が向いている。

語学の習得では継続することが絶対に必要だが、自分の好きなSFドラマを観ることなら苦にならない。
それどころか、スタートレックという番組は絵的に面白い上にストーリーがよくできている。
どうしても聞き取れないときは、日本語で観ればいい。
あるときは、同じエピソードを1回目に英語で、2回目に日本語で、3回目に再び英語で観るというよなことをしている。
こんなふうにして、彼は必要以上に気張ることなく意味のよくわからないTVドラマを毎週観ることができた。

この方法は功を奏し、彼は着々と英語を聞き取る耳を養っていく。
よくわからなかったエピソードを数週間後に再び観ると、以前より明らかによく聞き取れるのである。
自分の能力が上がっていくのを実感するのが、楽しくないはずがない。

これにとどまらず、彼はニュースなど2カ国語放送をしている番組は、ほぼ必ず英語で見た。
意味が分からなくても、とにかくそうした。
ニュースの場合は画面に日本語でタイトルが出ているし、日常会話よりもハッキリと発音されるので、一般にドラマよりは聞き取りやすい。

ネイティブが使う生の英語に浴びるように接するこの方法は、見た目の効率は悪いが、気が遠くなるほどわずかながら英語の語感やリズムを養っていく。

このような勉強を続けつつ、1995年7月、彼は英検準1級の試験に挑んだ。
しばらくして、筆記の一次試験の合格通知が来た。
しかし問題は、面接の二次試験である。

第4話に続く)

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DATE : 2011.01.19 (Wed) 01:49
第1話より続く)

宇宙飛行士を目指す過程で彼が成したことが3つある。
そのうちの一つは、英語の習得である。
目標指向型の学習が功を奏し、彼は英検最高峰の一級を取得することになる。

彼よりうまく英語を使う人はいくらでもいるので、英語学習で彼がたどった道のりやその苦労などについて書き連ねるのは失笑ものに違いない。
しかし、彼がいかにして英語を習得したかに興味を持つ人がいるのはまた事実だから、敢えてここに記すのも全く無意味ではあるまい。

彼は物事を行うとき、綿密に計画を立ててから着手するというよりは、とりあえずやってみるというタイプだった。
それは彼の短所であると同時に、長所でもあった。
少々荒っぽくてもとにかくやってみるというのは、いろいろと考えて結局何もしないよりは、大抵の場合は遥かにマシだからである。

当時大学生の彼は、大学の姉妹校であるアメリカ・ノーザンケンタッキー大学への短期留学プログラムがあることを何かのきっかけで知る。
彼は、それに行くことに決めた。
60万円の費用はバイトで貯めた。

ケンタッキーに真っすぐ行って帰ってくるのはもったいない気がして、彼は短期留学の日程の前に3日間のサンフランシスコ旅行の予定を入れた。
それが無謀であることを、彼は身を持って味わうことになる。
なぜなら、それは彼の海外初体験だからだ。ろくに英語が話せないにもかかわらず、たった一人で。

1993年7月17日、その旅は始まった。
大きな荷物を持ったいろんな国の人々が、あちこちと引っ切りなしに往来する成田空港の国際線出発ロビーを初めて目にする彼は、その「世界の玄関」を前に、いやが上にも胸いっぱいの期待を膨らませる。
成田からサンフランシスコに行く途中、サンノゼで飛行機の乗り換えをする。荷物はサンフランシスコまで直行する予定だ。

ところが、航空会社の都合でサンノゼ-サンフランシスコ間をバスで移動することになり、サンノゼで荷物を受け取る必要が出てきた。
そのアナウンスが流れていたらしいのだが、ゴーと騒音のする飛行機の機内でネイティブがスピーカー越しに話すのを理解する能力が、彼にあるはずもない。
サンフランシスコに着いて「あらビックリ」である。

ツアーではないので誰も迎えに来てくれないし、現地の知人など一人もいない。
衣類などを詰め込んだ緑色の巨大な彼のバックパックは、いてもたっても出てこない。
どれくらい待ったか定かではないが、これ以上待っても仕方がないと思い、彼は窓口で聞いてみることにした。

カタコトの英語で何回も聞いてみて、バスに乗り継ぎの際に荷物を持ってくる必要があったことをようやく理解した。
何ということだ。
彼の荷物はブエノスアイレスかどこかに行ってしまったというではないか!

彼の心境は推して知るべしである。
7月のサンフランシスコの空は真っ青で美しいのだが、そうであればあるほど心の底から楽しめない自分がいる。
それでも彼は健気にアルカトラズ島などを観光して回った。

夜はチャイナタウンで夕食を取った。
チャーハンか何かを1人前頼んだのだが、あまりの量に圧倒された。これも、彼の初の「国際経験」の一つだ。
食事のおまけに、フォーチュンクッキーが出てきた。
日本でいうおみくじのようなものである。
クッキーを割って中の小さな紙を広げると、
"You will overcome many hardships and accomplish great thing"
(あなたは多くの困難に打ち勝ち、大きなことを成し遂げるでしょう)
と書いてある。

何だか異郷の地で荷物をなくして困っている自分の状況を、言い当てられているようではないか。
いや、それ以上にもっと大きなことを暗示している気がする――。
彼は、たった2行だけが書かれたその小さな紙切れに、いたく勇気付けられた。

航空会社は、荷物を彼に届けるよう努力するとは言ってくれたが、保証の限りではない。
3日後にはケンタッキーに行かねばならないので、それまでに荷物が届かなければ永遠に戻ってこない。
だから彼は朝と夜となく必死で航空会社に現状確認の電話を入れた。

その電話は合計7回にも上った。
とはいっても、英語を使ってアドリブで言いたいことを伝える能力など、彼にあるはずもない。
ではどうしたかというと、彼はまず紙に文章を書いて何回か読む練習をし、毎回数分間ためらった挙げ句、文字通り手に汗握りながら電話をかけるのである。ホテルの小さな一室から。

その甲斐あってか、彼自身も驚いたことに3日目の朝には彼の緑のバックパックはホテルまで届けられた。
しかも、まったく無料でである。
初の海外旅行の出だしからトラブルに見舞われ、平静を取りつくろいつつも常に不安に苛まれていた彼は、勇気百倍である。

それにしても、自分の過ちにもかかわらず、こんな大きな荷物を善意で南半球からわざわざここまで届けてくれるとは!
それ以来、彼の脳裏には「アメリカン航空=素晴らしい会社」という図式が焼き付いている。
それはまた、国を問わず世の中には善意の人がいて、困ったことがあっても何とかなるということを、彼に教えた体験でもある。


サンフランシスコを後にし、ケンタッキーに着いてからはさしたる困難もなかった。
大リーグ観戦、美術観賞やホームステイなど、アメリカ文化を体験するプログラムが3週間のうちに効率的に組み込まれていた。
毎日英語の講義も受けた。

そして彼は、いよいよ帰国という時、留学中世話になった現地のチューターのアドバイスで、自分自身の土産にアメリカの大学生が使うという分厚い『ウェブスター英英辞典』を買って帰った。

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果たして、今回のケンタッキー留学で彼の英語力はどれくらい上がっただろうか?
彼の浅慮によれば、短期留学でいくらか英語が上達するという目算だったようだ。
しかし、3週間海外で勉強したくらいで言葉がうまくなれば、誰も苦労はしない。

それでもこの短期留学には重要な意味があった。
それは、現時点で彼のコミュニケーション能力は極めで不十分であり、英語習得の道のりはまだ遠いことを浮き彫りにしたことである。
宇宙飛行士などは、はるか彼方の話だ。

彼は、本格的に英語を学ぶことを決意した。
しかし、まだそのときの彼には、想像だにできなかった。
後に自分が宇宙飛行士候補者選抜で英語試験を受ける姿を。

第3話に続く)

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DATE : 2011.01.17 (Mon) 11:36
24世紀の世界を描く米TVドラマ『スタートレックThe Next Generation』では、「貧困は撲滅された」というセリフが登場する。

私も、いずれは地球上の貧困は撲滅されると思う。

そして、そうなるべきだろう。


では、貧困がなくなったかどうかをどう判断するか?

これを考えるには、やはり指標を使う必要があるだろう。

そう思って「貧困率」の定義を調べてみたら、まともに使えそうなものが見当たらないことに愕然とした。


現在、よく使われる貧困率の定義には「絶対的貧困率」と「相対的貧困率」の2つがあるようだ。wikipedia参照

絶対的貧困率は「1日の所得が1米ドル以下に満たない国民の割合」

この指標の問題は、物価の高低によって1米ドルの意味が大きく異なることだ。例えば卵を例にとると、インドでは1米ドルで10個買えるが、日本では4.3個、ベルギーでは2個しか買えない財団法人国際金融情報センターの資料参照。1米ドル=90円とする)


ちなみに相対的貧困率は「等価可処分所得が、全国民の等価可処分所得の中央値の半分に満たない国民の割合」

この指標では、ある程度の所得格差がある限り必ず貧困層が存在することになってしまう。仮に、最も貧しい人が六本木ヒルズに住んでいても、である。

奇妙なことに、この指標で「貧困層」に属する日本人の所得は、世界各国の貧困層のうちで最も「裕福」だという。


私の印象では、技術の進歩が衣食住の生産コストを下げ、時代を追うごとに貧困は撲滅されてきていると思っていた。

ところがその真偽を判断しようにも、そもそも現代において貧困を判断する納得のいく指標がないのだから、歴史的比較などお話にならないだろう。

誰もが納得するように「貧困」を定義すること自体が難しそうだ。その意味で、貧困問題は技術的というよりは思想的な問題かもしれない。

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