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DATE : 2011.01.26 (Wed) 17:29
第7話より続く)

ふたりが初めて音楽棟に行ったその日から、彼の彼女に対する想いは次第に高まっていく。
そこには彼の脳内変換による多少の美化はあるかもしれないが、彼女は彼にとって、美しく瀟洒で知的な、大いなる「高み」なのである。

彼がよい店を探して走り回ったり、ピアノで「パヴァーヌ」を猛練習したり、あるいは英語その他の彼にとって価値ある諸々の物事に真摯に取り組むのはなぜか?
それは、やり方は不器用で、しかも不適切ですらあるかもしれぬにせよ、彼が望んでいるのが「高み」であるからだ。
そこには一片の嘘偽りもない。

ところで彼は、友人や後輩などからしばしばサイボーグのようだと揶揄される。
確かに、あまり感情について語らず、定められたミッションの遂行を主目的とし、それと無関係と映るものを素通りする彼の行動様式には、スタートレックのボーグやターミネーターのそれを彷彿させるものがある。
おそらく彼の「空気が読めない」性質も、そこから派生しているに違いない。

そして彼には「娯楽」という概念が薄かった。
彼は基本的にそれを素通りしたが、よしそれをやった時もその動機は主に「自分のミッションと関係がある」、「友人との友好関係を保つ上で必要である」ということであって、自分自身が心底楽しむためであることはほとんどなかった。

そのように原始的な「感情」モジュールと「感覚」モジュールのみを実装された彼ではあるが、彼の彼女に対する想いは、雷雲というコンデンサーに過剰に電荷が蓄積するが如く高まっていた。
彼と彼女が初めて音楽棟に行った日から、1カ月と少し経った真冬の晩。
此くして彼はその日を迎える。

彼が彼女を連れて行くのは、私も行ってみたいと思うほどなかなかの店である。
ちょっとした迷路のような暗い空間を、絶妙な配色のネオンやその他の光源が微かに照らしている。聞こえるかどうかという音量のR&BのBGMが耳に心地よい。
彼は、蝋燭が灯った小さなテーブルに彼女を案内する。

何か軽く食べて飲んで、他愛のない会話をしばらく続けて「ここでよし」と見たとき――
その雰囲気を壊さぬよう注意しつつ、彼は決壊寸前まで彼の内に蓄積されたものの存在を彼女に告げる。
一条の激しい稲妻が、何ものかを打った!

しばらくの沈黙が流れた。
彼にはその時間がどれほど長く感じられたか。
果たして、うつむいた彼女の口から小さく漏れた言葉は、「ごめんなさい」であった。

稲妻が打ったものは、彼女の心ではなく地面だった。
雷雲に蓄えられたポテンシャルエネルギーが高ければ高いほど、落ちた稲妻の破壊力は凄まじい。
その打撃を彼は一身に受けた。

彼と彼女は各々の住処に帰った。
彼が暗がりで佇む中、彼の頬部を二条の分泌液が伝った。
彼の頭部ではニューロンというニューロンが高速で異常興奮を繰り返し、胸部では心臓が高圧力で断裂寸前である。

頭も破れよ、胸も裂けよと言わんばかりの苦痛が一体のサイボーグを襲う。
日頃愚痴や不満や負の感情の類を一切口にしない彼ではあったが、この時ばかりは友人にその心境――というよりはむしろ状況――を打ち明けた。
そのようにして頭の異常放電と胸の高圧力とを逃がさない限り、精神機能が回復不能となることを、自身の安全回路が警告したのである。

此くして、彼は自分が登った高みから真っ逆さまに落ちた。
彼は、彼にとって最も深い絶望の奈落に沈んだ。
そうして、一ヶ月ほどが経った。

第9話に続く)

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Ken Takahashi

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