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DATE : 2011.02.28 (Mon) 00:28
第29話より続く)

2000年4月12日、環境医学研究所の一室で、彼の研究室の論文抄読会が始まる。
教授、助教授、助手などの教員スタッフに加え、大学院生や研究生など総勢10数名がその部屋に集まる。
この日は、大学院生の新人2人――エリート医師と彼――がそれぞれ読んできた論文の内容を紹介する、デビュー戦である。

発表順は、医師の方が先攻に当たった。
「ラット大腸感覚神経のカルシウム電流はμ、δではなくκオピオイドにより抑制される」というその論文は、やはり専門性が高く、ある程度しっかり読んでいないと人に説明できるレベルには到底達しない。
しかしその人物は、論文の研究の背景、実験方法、結果、考察をそつなくまとめて、1時間足らずの発表を要領よくこなした。

「流石に優秀だな。」
先攻の発表者のプレゼンテーションを聞きながら、そんなことを彼は考えた。
しかし司会者に自分の発表を促されると、やることはやってきたという思いがそうさせるのか、彼は慌てるでもなく自分の発表を始める。

大学の研究室で行われるこの手の発表会で、途中で中断されずに発表者が話し続けられることは、まずない。
発表者の説明が不十分な場合はもちろん突っ込まれるが、そうでなくても、発表者の理解度を試すために教授などから質問が入ったりする。
彼は後に気づくのだが、研究の世界では――他の世界でもそうかもしれないが――、何のコメントもせずに発表者の話をただ黙って聞いているだけだと、無能だと思われてしまうフシがある。

したがって、発表者が話しているとき、聴衆は何らかの質問やコメントをする隙を常に覗っているといっていい。
そのような聴衆の行動をテニスに例えるなら、彼らは論文抄読というゲームの流れを注意深く見つつ、鋭いストロークやボレーを打つチャンスを常に探している。
もし発表者が打ち損ないの甘い球などを上げてしまうと、思いッきり鋭いスマッシュを打ち込まれかねない。

果たして、彼の戦いぶりや如何に。
戦略的なコースなどを考えずに打つ彼は、教員から様々な角度にボレーやストロークを打ち込まれるものの、がむしゃらに走って追いつき、何とかそれを返している。
フォームは華麗から程遠く、時々フレームショットをかましたり、通常ではありえないコースに打ち返したりするのだが、それでも何とかコート内に返しているには違いない。

1時間ほど続いたその「試合」の結果はというと、「デビュー戦にしてはまずまず有望でしょう」というのが教授のコメントであった。
聴衆の「度肝」までは抜けなかっただろうが、その意気で臨んだことで、取り敢えずの成功は収めたと見てよかろう。
その日の晩、帰りの電車に揺られる彼は、9日間の戦いの疲労を感じつつも、面持ちは明るかった。

次の週、彼は実験を始めることになった。
もうデスクの前にただ座って論文を読んでいるだけの生活は終わりだ。
いよいよ大学院の博士課程で、彼の研究が始動する。

第31話に続く)

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