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DATE : 2011.01.12 (Wed) 07:22
歴史は、私が学校で習ったときとはずいぶん変わってしまっていた。

私の知識では、縄文人といえば土器を作る原始的な狩猟採集民というイメージだったが、そうではないらしい。

1992年の青森県・三内丸山遺跡の発掘調査によって、縄文人はかつて考えられていたよりも遥かに進んだ文明を持っていたことが分かったそうだ。


クッキーというと現代文明の産物のような気がするが、縄文時代中期にはパンとともに既に作られていたらしい。

縄文人のゴミ捨て場であった貝塚。名前からすると貝ばかり食べていたような気がするが、実際にはアサリ、ハマグリ、シカ、イノシシ、タイ、ボラ、マグロ、サケ、クルミ、クリ、ドングリなど、実に様々なものを調理して食べていたとか。

しかも何と、ニワトコなどの植物から果実酒を作って飲んでいたという。ロマンをかき立てる古代の歴史は、実に面白い。


あらゆる学問がそうであるように、歴史も変わっていくんだなと実感させられる。

ところで、約12,000年前から1万年間も続いた縄文時代は、武器を取って殺し合う戦争がなかった、のどかで平和な時代だったとされる。

核兵器や地雷に溢れている現代社会では、考えられないことだ。


そんな時代は羨ましいと思うが、文明は後戻りできない。

私たちは、再び戦争のない世界をつくることができるのだろうか?

確かなことは、不可能だと思ってしまったら、物事は実現できないということだ。

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DATE : 2010.12.24 (Fri) 22:27
NHKのテレビ番組「ピタゴラスイッチ」の中に、「おとうさんスイッチ」というコーナーがある。

「おかあさんスイッチ」ではない。

始めてこの番組を観たとき、「おかあさん」ではないところに時代の流れを感じた。



「ワオっち」という幼児向けの知育ゲームには2人のキャラクターが登場する。

ひとりは主人公の「ワオっち」で、もう一人は「パパっち」

「ママっち」は登場しない。


最近、父親が幼稚園に子供を連れて行く微笑ましい光景を目にする。(実は私自身もその一人だったりする…)

今年の流行語大賞では、「イクメン」が10位にランクインした。

時代の流れは「父親が積極的に子育てをする」ということが、ありありと感じられる。


イクメンたちは、子育てを積極的にすることを楽しんでいるように見える。

子供の成長には、父親も母親も必要なことを考えると、それは望ましい方向だろう。

今日はクリスマス。父親たちにとって、よいパパの見せどころだ。

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DATE : 2010.12.21 (Tue) 23:58
昨日までの記事では、マスメディアの死について技術的な面から見てきた。

今日は、マスメディアが死ぬ運命にあることを、他の観点から見ていきたい。


マスメディアのマス(mass)とは、一般大衆という意味。

マスメディアが想定していた「大衆」とは、同じような関心を持った多くの人々、というような意味ではなかろうか?

私の感覚では、そんな「大衆」が存在したのは、20年くらい前までだと思う。


昔は、大晦日といえばみんな紅白歌合戦を見たものだ。

ところが今では、K-1やドラえもんなど、昔ではありえなかった選択肢が増えた

さらにネットやゲームなど、これまで大多数の人の娯楽だったテレビの他にも、人々の関心をひきつけるものが生まれた。


マスメディアが没落してしまった理由として、世間の関心が多様化したことは外せないように思われる。

マスメディアの仕組みは、「大衆」に同じ情報(番組など)を伝達すること。

大きい組織的な情報提供者が、大量の人のために単一の情報を作成して届けるという方法は、効率的ではあった。


ところが、人々の関心が多様化してくると、みんながそれぞれ違う情報を求めるので、マスメディアの情報伝達手段は機能しなくなる。

情報伝達は、細分化した人々の関心を、数多くの小口の情報提供者が満たすという時代に入ったのだ。

インターネットでは、それこそびっくりするほど様々なテーマについて、小さなグループや個人がブログや動画などの形で情報提供している。


みんなが野球や紅白歌合戦を見るというのは、牧歌的で幸せな風景ではあった。

人々の関心が多様化した今では、個々のニーズに合わせて情報が伝えられる。

それは、人類の進化の方向として自然なのかもしれない。

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DATE : 2010.12.20 (Mon) 23:51
先日の記事では、書籍とラジオが死につつあるという話をした。

今日は、もう一つの巨大メディアが死につつあるという話をしたい。

テレビである。


テレビというマスメディアが独占的に持っていた特権は、もう奪われてしまった。

それは、リアルタイムで動画を伝達する手段。

インターネットを介して大容量の情報を瞬時に送る技術が、それを可能にしてしまったのだ。


これまでは、テレビ放送は免許によって独占的に認められていた。

それが今では、映像番組の放送ならustreamを使って誰でも無料でできてしまう。

生放送で、しかも全世界に。


最近、「テレビもそろそろ終わりだな」と思う。

その最たるものは、TV番組でYoutubeの動画を紹介するものがあること。

それって、「自分たちでは面白いコンテンツ作れません」と言っているようなもんでしょう?!


2つ目の例は、ニュースがTVよりも先にネットで配信されること。

非常に分かりやすい例は、尖閣漁船衝突の映像がTVではなく、先にYoutubeから流出したことだ。

それを何回も受け売りで垂れ流しているTVを見て、私は哀れに感じてしまったほどだ。


3つ目の例は、オンデマンド配信が「使えない」代物であること。

映画やドラマが好きな時に見られるオンデマンド配信のひとつに、アクトビラというサービスがある。

このサービスは、操作性があまりよくない(追随が遅すぎる!)上に、番組のラインナップがイマイチ。こんなことでは、ネットの動画配信に負けてしまうだろう。


それでもまだTVに優位性があるのは、優秀なスタッフ、大規模なチーム、番組作成のノウハウ、高度な設備・機材などだろう。

ただ、番組を視聴者に届けることが目的であれば、必ずしもTVという枠組みを使う必要はない。

優秀なスタッフや機材をそろえることができれば、誰でも既存のTV局に対抗できるような映像配信局を作ることができるのだ。


不謹慎な話かもしれないが、あと何年でTVというメディアが消滅するかな、と思う。

世間が地デジに移行しようとしているときではあるが。。

ただ、人は新しい環境に移ることを嫌がるものなので、マスメディアの絶滅の過程はあと2、30年はかかるかもしれない。

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DATE : 2010.12.09 (Thu) 23:57
●呪いの鉛板:レバノン古代遺跡で発見 京大など調査団

「彼らの体を衰弱させて下さい」などと書かれた2~4世紀頃の呪いの鉛板が見つかったという。

自分がこんな風に呪われるとすると、背筋がゾゾけるような恐ろしい話だ。


紀元前6世紀から紀元7世紀頃には、人を呪う習慣があったというのは驚きだ。

少なくとも私の周りではそういう人はいない、と思う。(思いたい!)

人間性が進化して、現代ではそういう習慣はなくなったのだろうか?

人類は呪いの言葉をハードディスクという金属板に書くように進化した、とかだと笑うに笑えないが・・・



人を呪わば穴二つ。

人を呪い殺そうとするときは、自分の墓穴も用意しろ、という意味。

殺すまでいかなくても、人の不幸を祈るときは、自分の不幸も覚悟する必要があるだろうな。


2~4世紀に鉛板を書いたその人物は、幸せな人生を送ったのだろうか!?

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Ken Takahashi

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