category: 未選択
DATE : 2011.12.12 (Mon) 05:07
DATE : 2011.12.12 (Mon) 05:07
先日、再生医療で目覚ましい成果を上げておられる岡野光夫先生の講演を拝聴した。
シート状に培養した細胞をきれいにはがすという要素技術から始まって、それを角膜や心筋や食道がんなどの治療に結びつけ、TWINS(東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究教育施設)という施設まで創り上げてしまった偉大なる業績に感銘させられた。
講演受講者の若い学生たちに「目的を定め、それに向かって努力すること」の大切さを説かれていたのが印象的だった。
ところで何年か前に話題になった本(今も売れているようだ)で、『金持ち父さん、貧乏父さん』という本がある。
確かこの本だったと思うのだが、「金持ちになるのは、市場に買い物に行くくらい簡単だ」というくだりがある。
つまり、具体的にどのような金持ちになりたいのかという明確な目標を持ち、それを達成するための方法を定めてしまえば、あとはそれをただ実行するだけ、ということだ。
私が何を言いたいかというと、何か物事を成し遂げようとするとき、目的を定めるのがいかに大切か、ということだ。
行き当たりばったりな生活を続けていたら、知らないうちに偉大な仕事ができていた、というのはあり得ない。
それはちょうど、目隠しをしたままゴルフをして、ボールをカップに入れようとするようなものだ。
しかしここで、では一体どれくらいの人がはっきりと目標を定めているのだろうか、とふと考えてみる。
岡野先生や「金持ち父さん」のようにしっかりとしたビジョンを持っているのは、むしろ稀な人種ではないか。
大部分の人は、未来に対してもやもやと漠然としたイメージを持ちながら、毎日を過ごしているのだろうと思う。
ゴールが見えない人がそこに到達できないのは当たり前だ。
しかし、生まれた時からゴールが見えている人はいない。
つまり、ゴールが見えている人は、人生のある時点から見えるようになったに違いない。
では、目的を持っていない人が「目的を持て!」と言われて、明日から人生の明確な目的を持つことができるだろうか?
それは無理な相談だろう。
これはなかなかに辛い状況だ。
目的を定めた方がいいことが分かっていても、それを定めることができないのは、目的を持たずに悠々自適で暮らすよりも辛い。
そのような目的を持つのは、他の言い方でいえば「天命を受ける」ということだろう。
準備のできていない人には、天命は下らないに違いない。
人生の目的という天命を受けるには、それが何か分からないうちから、そのために準備してじっと待つしかないのだろう。
稲妻に打たれるのを待つ人のように、目覚めるのを待つ人のように。
シート状に培養した細胞をきれいにはがすという要素技術から始まって、それを角膜や心筋や食道がんなどの治療に結びつけ、TWINS(東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究教育施設)という施設まで創り上げてしまった偉大なる業績に感銘させられた。
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それはちょうど、目隠しをしたままゴルフをして、ボールをカップに入れようとするようなものだ。
しかしここで、では一体どれくらいの人がはっきりと目標を定めているのだろうか、とふと考えてみる。
岡野先生や「金持ち父さん」のようにしっかりとしたビジョンを持っているのは、むしろ稀な人種ではないか。
大部分の人は、未来に対してもやもやと漠然としたイメージを持ちながら、毎日を過ごしているのだろうと思う。
ゴールが見えない人がそこに到達できないのは当たり前だ。
しかし、生まれた時からゴールが見えている人はいない。
つまり、ゴールが見えている人は、人生のある時点から見えるようになったに違いない。
では、目的を持っていない人が「目的を持て!」と言われて、明日から人生の明確な目的を持つことができるだろうか?
それは無理な相談だろう。
これはなかなかに辛い状況だ。
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そのような目的を持つのは、他の言い方でいえば「天命を受ける」ということだろう。
準備のできていない人には、天命は下らないに違いない。
人生の目的という天命を受けるには、それが何か分からないうちから、そのために準備してじっと待つしかないのだろう。
稲妻に打たれるのを待つ人のように、目覚めるのを待つ人のように。
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