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DATE : 2011.02.09 (Wed) 07:38
第17話より続く)

すべての出会いは、後に振り返ってみると、それが必然であったと思われるものだ。

休日のある日、彼はお気に入りの瀟洒な紀伊国屋書店で本を眺めていた。
おそらくウインドサーフィンの本でも探しにスポーツコーナーに行ったのだろう。
何気なく雑誌を眺めていると、一冊の本が彼の目に留まった。

ページをめくってみると、そこにはトライアスロンの起源について書いてある。
およその内容は次のようである。

時は1977年、ハワイのとある酒場で、酔っ払ったアメリカの海兵隊員たちがこんな与太話をしていた。
「なぁ、ワイキキの水泳競技(3.9km)と、オアフ島一周の自転車競技(180.2km)と、ホノルルマラソン(42.195km)のうち、どれが一番すごいだろう?」
「う~ん、そいつは比べようがないな・・・」

そこで、ある男がこう言った。
「そりゃ、3つ全部やりゃそいつが一番だろ。」

そして翌年には本当にそれが実現し、15人の屈強な男達がこの気違いじみたレースに挑んだ。
酷暑のハワイでそのレースは過酷を極めたが、驚くべきことに12人がそれを完走したという。
その凄絶な男達は、アイアンマン(鉄人)と呼ばれた――

これを読んで、本屋の一画に立ち尽くしたまま彼は驚愕した。
「この世にそんな人間が存在するとは・・・!!」
これまで彼が走った中で一番長い距離といえば、せいぜい高校のマラソン大会で走った16.4kmである。

***

子供の頃、心身ともにひ弱だった彼は、体育の時間にマラソンをするといつもビリかビリ2だった。
そんな競技が楽しいはずもなく、彼はそれに恐怖と嫌悪と悲痛とが入り混じったような、痛ましい感情を抱いていた。
惨めなことに、その少年はマラソンだけでなく、体育の時間という存在自体が嫌いだった。

彼が中学校に上がってもそれは基本的に変わらなかったが、あるきっかけが彼を変えた。
彼が崇拝する「第1の女」が、学校のマラソン大会で女子の1、2を争うほどのデッドヒートを繰り広げたのだ。
自分も強くなりたい。いつまでもこんな弱っちいのはいやだ――

高校に進学し、部活を決める段になって彼はいくらか悩んだ。
その末に彼が選んだのは、陸上部だった。
長距離はダメだが、多少は速い短距離なら、なんとかやっていけるかもしれない・・・。

身長の割には心身が弱小なその少年の中に、そのとき既に「超人への憧れ」があったか否か。
陸上部の練習は決して楽ではなかったが、3年間の練習が彼の体と、そして恐らく心を鍛えた。
高校最後のマラソン大会では、彼は人並みに16.4kmを走れるようになっていた。

***

マラソンはおろか、ハーフマラソンすら走ったことのない彼には、アイアンマンは異次元の存在である。
その屈強な鉄人の姿は、彼が心に抱く「超人」のイメージと重なったかもしれない。
時として無謀に走る彼ではあるが、さすがにそれを目指す決意にまでは至らず、驚嘆の余韻を残したまま紀伊国屋を後にした。

しかし、あのとき彼がその本と出会わなければ、その後の彼は存在しない。

第19話に続く)

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DATE : 2011.02.08 (Tue) 02:57
第16話より続く)

1998年といえば、古川さん、星出さん、角野さん(後の山崎さん)の3人のISS宇宙飛行士候補者を生む選抜が行われた年である。
しかし、「自然科学系の研究、設計、開発等に3年以上の実務経験を有すること」という条件を満たさない彼には、まだその応募資格はない。
もしかしたらもう次の募集は二度とないかもしれないという状況で、その不確かな望みに「人生」をベットするという大博打は、ただ狂気のみが為せる業であろうか。

そのとき獣医2年目の彼がしていることは、3つある。
今まさに宇宙飛行士候補者選抜が行われているその時に彼がしているのは、そのいずれもが、すぐには目立った成果を生まない地味なものだ。
一つ目は、学生時代から引き続き行っている英語である。

実は、彼は英検準1級を取ったあと、大学時代に1級の試験を3回受けていた。
卒業して就職すると勉強時間がなくなるだろうから、学生のうちに短期決戦でケリを着けようとしたのだ。
彼が90日間休まず『松本亨英作全集』を続けて5巻までを終えるなどしたのは、まさにそのためであった。

もしそこで1級を取ることができれば、彼の人生はもっと鮮やかで華麗であったろうが、残念ながら結果は3回とも合格に程遠い「不合格B」であった。
彼は、英検1級と準1級との間の壁は、準1級と2級との間とは比べ物にならないほど厚いということを、その身に思い知らされた。
しかし彼はそれに懲りるでもなく、むしろいっそう闘志を燃やして、必ずやその頂を極めることを心に刻んだのだった。

彼が獣医時代に英語の勉強で具体的にしていたことは、学生時代から続く『松本亨英作全集』と、「Weekly MAINICHI」という英字新聞の購読である。
彼が英会話のレッスンを受けなかったのには、時間の調整が難しいという他にも理由があった。
それは、言葉を話すということが、究極的には作文に行きつくと彼が考えていたことによる。

彼は、英検準1級の2次試験対策で英会話学校に通ったことで、週に1、2回ただ漫然とレッスンを受けるだけでは会話力の伸びが頭打ちになることを、肌身にしみて感じていた。
英語で話そうとするとき――母国語もそうであろうが――には、頭の中で文を組み立てて、それを音として発音する。
流暢に話すことは、その過程を高速で行うことであり、おそらくネイティブはそれを無意識で行うレベルに達しているのだろう。

実用的な電子辞書も既に存在する時代ではあったが、彼は英字新聞などを読むとき、分からない単語はケンタッキーで自分の土産に買ってきた分厚い『ウェブスター英英辞典』で調べた。
しかし、アメリカの大学生が使うというその辞書は、日本人の英語学習者にはちと難解である。
初めの頃は、英英辞典で調べた項目の中にまた分からない単語があって、またその単語を調べて、というようなことを延々とやっていると、元の単語の意味がわかるまで10分以上かかることもあった。

ところで、彼には相変わらず自分がしたことの成果を確認したがる傾向があった。
例えば、本を読むときは巻頭に読み始めた日付を書き、巻末には読み終えた日付を書いた。
また、ピアノや語学で繰り返して練習をするときには、日付とともに何回行ったかを示す「正」の字を書いていった。

さらに偏執的なのは、彼が辞書で意味を調べるとき、調べた単語の左に赤色のペンでいちいち小さく丸印をつけていったことである。
女人に見られたら、まず嫌われそうな行動ではある。。
また、成果を確認したがる傾向の最たるものといえば、そもそも語学の習得度を測るのに検定制度を利用したことだろう。


彼が獣医時代にしていたことの二つ目は、数学や漢字や歴史などの、教養の勉強である。
そのいずれもが、習得度を測る検定制度があるものである。
そして彼がしたことの三つ目は、大学院進学の準備である。

宇宙医学実験センターが大学院生の募集をしていないことを知った彼は、他の研究室を探し始めた。
宇宙医学実験センターは環境医学研究所という施設の一部門なのだが、その研究所の他の部門も宇宙関連の研究をしているらしいという情報を、彼は「聖地巡礼」の際に得ていた。
自宅にネット環境がない彼は、またしてもネットカフェで環境医学研究所について調べ、その中のひとつの研究室が大学院生を募集していることを発見する。

また彼は、「聖地巡礼」の頃には小額ながら貯金を始めている。
まだ具体的にどこの大学院を目指すかは決まっていない段階ではあるが、大学院に行くことは心に決めていたのか、そのための学費を準備していたようだ。
そして、彼が休日のある日に書店で一冊の本に出会うのは、この頃である。

第18話に続く)

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DATE : 2011.02.06 (Sun) 01:08
第15話より続く)

出勤日には当たり前のように22~23時まで仕事がある上、毎週1回は必ず泊まりの当直があり、休日は英語や数学の勉強をしていたという彼の生活は、一体どれほど禁欲的でストイックだったのだろうか?


彼が獣医2年目だった1998年、彼の自宅のワンルームにはインターネットはおろかwindowsマシンすらなかった。
彼は白黒液晶の「ラップトップ」でMS-DOSを起動し、電話回線をアナログモデムに接続して「パソコン通信」に勤しんでいた。
彼が電話代と接続料金を気にしながら頻繁にアクセスしているのは、某ネットワークの「仲間募集」掲示板である。

はじめ彼は何気なくそれを眺めていたのだが、ズラっと並んだエントリーを見ると、たまに「メールくださーーい!!」などという書き込みがある。
投稿者は誰だと思って見てみると、女性である。
彼が面白半分に返信を送ってみたところ、なんと翌日にはその人から素敵なあいさつが来たではないか。

何でつまらぬはずがあろう?!
これに味をしめた彼は、「24歳OL。メル友募集中」などという書き込みを見るや、なりふり構わず片っ端から機関銃の如く返信を打ちまくった。
「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」で、彼はそのうち何人かとの定期的な文通の座を射止める。

歴史をひも解くと、その掲示板サービスは今日の「出会い系」サイトの源流のひとつであるらしい。
出会い系というと、殺人沙汰などもあって危険でいかがわしい感が拭えないが、当時はそんな犯罪や怪しげな業者もなく、人々が素朴に交友関係を築くことができた、牧歌的な古き良き時代であった。
男が女を求めるのに理由などあるまいが、異郷の地で苛烈な仕事に追われる彼にとって、休日の静寂と虚無感は身にしみたのかもしれない。

学生時代には女心を解さず、むしろそんなものに興味を持たぬことに誇りすら感じた彼であるが、今や事情は全く異なっていた。
彼はメール交換している相手の好きな本、映画、音楽、TVドラマなどを洗いざらい聞き出し、それを手当たり次第に見たり聴いたりして、世の女性の興味・関心・好みを貪欲に吸収していった。
人類の半数が女性であることを考えると、その世界を知らぬことは、この世の半分しか知らぬことといえるかもしれない。

それは、「第2の女」との終焉を思い出すとき、その原因に自分の人間としての「つまらなさ」があったのではないか、という反省にも基づいていた。
確かに、休日も休まず勉学や体の鍛錬に励むというのは立派には違いないが、そのような人物が必ずしも人に好かれたり尊敬されたりするわけではないということを、いつしか彼は悟っていた。
「精神の苦行僧」のような者は、宇宙飛行士にそぐわない。

それが功を奏してか、彼はついに文通相手との逢瀬に漕ぎつける。
世のプレイボーイからすれば彼の業など児戯に等しかろうが、彼はその「最盛期」には、過酷な日常の中でも週に3人の異なる女人と逢うなどという無体ぶりをカマしている。
しかし、これがあの1年前に公園のベンチに寝そべって己が不幸を嘆いた者かと、疑いたくなる程の豹変ぶりである。


また彼は、その夏にウインドサーフィンを始めた。
海のないところで育った彼にはそんな原風景などあるはずもないのだが、なぜか彼の心には、夕陽の海でウインドサーフィンをしている像が焼き付いていた。
それで、無性にやってみたくなったのである。

実際にやってみると、それは一日にして彼の心を捉えた。
青く大きな海と、肌を撫でて吹き抜ける風と、惜しみなくすべてを照らす黄金の太陽と――。
それさえあれば、彼は体の芯から体外に湧き出すような歓びに包まれる。

学生時代には、趣味ですら自分のミッションの一部に過ぎないものであったが、今の彼には宇宙を目指すこととウインドサーフィンを関連付けることなど、馬鹿馬鹿しくてどうでもよかった。
彼は、何か他のもののためでなく、自分自身のために心の底からそれを楽しむ。
海上で太陽を全身に浴びながらセイルを操る彼は、時間の存在を忘れている。

しかし彼は、宇宙の存在まで忘れたわけではない。
ある夏の日には、彼は朝にキーボードを弾き、昼は海でウインドサーフィンをした後、夜は『松本亨英作全集』の英作文をノートに5ページ書き綴っている。
女人と戯れるのもよいが、これこそが、彼が善しとする休日の過ごし方である。


彼がそのときこれを意識していたか否かは知る由もないが、彼が学生時代に読んだヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の一節には、次のようにある。
死は人生の出来ごとにあらず。ひとは死を体験せぬ。
永遠が時間の無限の持続のことではなく、無時間性のことと解されるなら、
現在のうちに生きる者は、永遠に生きる。


第17話に続く)

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DATE : 2011.02.05 (Sat) 01:24
第14話より続く)

1994年の7月(ちょうど獣医学生の彼が「グレート・コンポーザー」のクラシック音楽を聴いたり、フランス語の勉強をしていた頃)には、宇宙飛行士の向井千秋さんがIML-2ミッションで宇宙メダカの実験を行っている。
インターネットの情報によると、その実験を提案・指導したのは、何とあの宇宙医学実験センターの教授ではないか!
彼がネットカフェでそれを見たとき、彼にとって「聖地」とも呼ぶべき宇宙医学実験センターにどれほど胸が躍ったかは想像に難くない。

彼が最敬礼のメールを送ったその教授は幸いにして懐が深い人物であったので、宇宙医学実験センター見学の話はトントン拍子に進んだ。
それは彼にとって疑いもなく最重要イベントであるから、彼は当然の如くその教授の都合に合わせて休みが取れるよう同僚と相談した。
そして満を持して迎えた1998年7月24日、彼はついに「聖地巡礼」を果たす。

しかし困ったことに、宇宙医学実験センターは大学院生の募集を行っていないことが判明した。
理由は、教授の定年退官が近付いているので博士課程の指導を責任持って行うのは難しい、とのことである。
「宇宙医学の研究を行っている研究室はここだけではないので、他も当たってみてはどうか」という助言をもらい、彼はやむなく帰ることになった。


当時あまり一般に普及していなかったネット検索で宇宙医学実験センターを見付け、医学研究科というハードルが高そうな所とコンタクトを取り、実際に見学にまでこぎ着けたのは、彼の行動力の賜物といえるかもしれない。
しかしその一方で、彼のやること成すことに常にある種の「雑さ」があったことは否めない。
例えば今回の宇宙医学実験センター見学にしろ、そこで大学院生の募集がなかった場合にどう出るかについて、彼は事前に何一つ具体的なプランを持っていないという行き当たりばったりであった。

実際、彼は獣医の仕事において「先生(彼のこと)はがさつやな!」といって院長の叱責を受けている。
この院長は、普段の仕事は右腕の副院長にほぼ完全に任せており、他院からの紹介の患者など特別の場合を除き、ほとんど病院に姿を現さない。
その風貌はといえば、髪はグレーにして短く、目は漆黒にして深く、顔に刻まれし無数の皺は過去の幾千の「戦い」を物語る、というものである。

その人は獣医臨床のあらゆる分野において高い知識と技術を有しているが、とりわけ外科が滅法強く、オペ室に入ればブラックジャックさながらの神業をふるった。
しかしそれは華麗なテクニックを見せびらかす類のものでなはく、飽くまで質実剛健に徹したものである。

ある時、彼は院長が執刀する整形外科の手術に助手として入った。
院長がそのオペを簡単な去勢手術のようにあまりに淡々と進めるので、彼は「大して難しい症例ではないのだろう」と高をくくった。
ところが手術後スタッフルームで彼がお茶をすすっていると、副院長が現れて「オペ中に院長は何も言わなかったが、あれは非常に高度な技術を2つ組み合わせて適用していたのだ」といって唸ったので、彼は舌を巻いた。

その人は彼の動物病院のスタッフからはもちろん、全国の獣医師からも尊敬を集めていた。
テレビの取材といえば、成り上がり者が飛び上がって喜びそうな話だが、そんな話も「ええわ。」の一言で一蹴する人である。
おそらくその人を占めているのは患者の健康と、飼い主の喜びと、己の業の全うであって、メディアの評判などという卑小なるものに一瞥の価値なし、という孤高の境地に達していると思われる。

また、彼のように獣医師として赤子同然の青二才にも常に「先生」という尊称で呼ぶところに、その人の徳の一端が窺える。
もしこの世に「伝説の獣医師」なるものがあればこの人に違いない、と思わせるような人物である。
「人間、歳はあのように取りたいものだ」と彼は思った。

彼は、院長の言葉をしかと受け止めた。
「宇宙飛行士にがさつ者はあるまい。」
彼が院長から受けた叱責は、その後10年以上経ってなお彼の行動に軌道修正を促し続ける、珠玉の言葉である。

第16話に続く)

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DATE : 2011.02.03 (Thu) 00:46
第13話より続く)

実家の比較的近くに「宇宙医学実験センター」を見付けて歓喜した彼であったが、だからといって彼の将来が何一つ約束されたわけではなかった。
それはどうやら大学の医学研究科の施設らしいが、医学研究科といえば、エリート医師が集まって崇高な研究を行う、気高い象牙の塔ではないか?
そもそも、彼のような一介の獣医、しかも優秀でもない獣医など、相手にすらされないのではないか?

しかし、宇宙を目指す彼には、何とかしてそこに近付くという選択肢しかなかった。
彼が思いつく限りの「最善手」は、自分の専門である医学を生かし、しかも宇宙と関係のある分野で博士号を取得することだからである。
もっとも、世間の良識ある人にしてみれば「最善手」は無難に生きることであり、彼の状況で宇宙飛行士を目指すことなど、正気の沙汰ではないのかもしれないが。

彼の愛読書『ツァラトゥストラはこう言った』の中で、主人公ツァラトゥストラはこう言う。
人間は、動物と超人のあいだに張りわたされた一本の綱なのだ、――深淵のうえにかかる綱なのだ。
渡るのも危険であり、途中にあるのも危険であり、ふりかえるのも危険であり、身震いして足をとめるのも危険である。


彼がしていることは、まさに綱渡りであった。
大学院生の募集があったとして、入試に受かる保証などあろうか?
仮に合格して医学研究科の大学院生になったとして、エリート集団に交じって医学博士号を取得できる見込みなど、いったいどこにあろう?

仕事を辞めて意気揚々と大学院に行ったはいいが、「はいダメでした」となったら、またノコノコと獣医に出戻るのだろうか?
万が一奇跡的に医学博士になったとして、そのあと仕事はどうするのか?
また逆に、宇宙飛行士を目指すことをやめればやめたで、戦わずして逃げたことを彼は一生後悔するに違いない。

彼とてその危険は十分に承知している。
しかし、自ら望むものを本気で求めるなら、「なんとかなるさ」と思ってその綱を前に進むしかない。
彼は、その綱渡りゲームに「人生」という札を賭けているのだ。

1998年6月20日、某大学の医学部付属である宇宙医学実験センターの技官の人物宛てに、彼は問い合わせのメールを送った。
彼は、来るとも知れない返事を一日千秋の思いで待つ。
果たして2日後にそれは届いたが、あまり前向きでないその内容に、彼は落胆したに違いない。

その人物にいくつか追加で聞きたいこともあったので、彼は懲りずにさらに2、3回メールを送った。藁にもすがる思いであったに違いない。
遠方から性懲りもなく何度も連絡をよこして来る者の熱意を挫くのも忍びないと思ったか、その人物は3回目の返信で次のようなことを彼に提案した。
我が研究室の教授は研究を行う意欲のある者を無下に断るような人物ではないから、一度直接会ってみてはどうか?

これを見て彼が狂喜したことは、言うまでもない。
宇宙医学の大家である教授と直接会って話すという、夢にすら見たことのない好機が、いま自分に訪れようとしている――。
彼は、なし得る限り最も敬意を込めたメールをその教授に書いて送った。

第15話に続く)

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Ken Takahashi

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