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DATE : 2011.02.17 (Thu) 00:57
第22話より続く)

1999年は、彼に様々な出来事が起こる年である。
1月11日――それは辛くも完走を果たした初ハーフマラソンに先立つことおよそ2週間前――には、彼は『英検1級 読解・記述問題ターゲット』という問題集を新たに始めている。
1月初旬というその時期から、新年を迎えて「絶対に1級を取る」という決意を新たにしたことが窺える。

その1週間後の1月18日には、環境医学研究所の所外研究員の正式な申請手続きがされている。
さらにその2日後には、実家から寝耳に水の報せがあった。
彼の母方の祖父が逝去したのである。

***

彼は、彼の名をつけたというその祖父を、幼少の頃から尊敬して慕っていた。
若い頃は頑強だったその祖父も、万人に等しく訪れる老いには逆らえず、あるとき入院することになった。
当時大学生だった彼は、病院に見舞いに訪れた。

その頃既に宇宙を目指して英語を学んでいた彼は、病院を訪れる道中にも問題集などをしていたに違いない。
彼が病室を訪れたとき、祖父は弱々しくベッドに寝そべっていたが、彼の顔を見ると面を明るくした。
1時間ほどしたところで彼が帰ろうとすると、彼の祖父は「君はもう少し居るのかと思ったよ」と言って咎めた。

それを聞いた彼の母と祖母が、彼は忙しいからと言ってなだめてくれたので、少々バツが悪いながらも彼はお暇してしまった。
呆れたことに、彼は『松本亨英作全集』を進めたくて仕方なかったのである。
浅はかな彼はそのとき全く考えていなかっただろうが、それが、彼が祖父と話を交わす最後の時になってしまった。

***

何ということだ――。
仮にあのとき数時間の英作文をやらなかったとして、いったいどれくらい英語の習得が妨げられたというのだろう?
何も話すことなどなくても、ただ傍にいて祖父の心を少しでも癒した方が、よっぽど良かったのではないか?

葬儀のとき、彼の頭を巡っていたのはそんなことかもしれない。
しかし、そんな風に過去の過ちを責めたところで、あの世の祖父は喜んではくれまい。
今や空の星となり彼を見守る祖父は、「己が成すべきことを成せ」と言うことだろう。

病気の祖父との面会時間を惜しんでまでするやり方はともかく、彼が英語の習得にただならぬ情熱を注いでいるのは、紛れもない真実である。
逆に、面会時間を削るまでしたにもかかわらず中途半端に終わってしまっては、彼岸の祖父が許すまい。
その意味でも、彼は英語習得の道を邁進するよりほかない。

彼が『英検1級 読解・記述問題ターゲット』を終えるのはその年1999年の10月28日であるが、彼が実際に1級の試験を受けるのは、もう少し先のことである。

第24話に続く)

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DATE : 2011.02.16 (Wed) 00:19
第21話より続く)

環境医学研究所(環研)の研究員の座を得て、月一回の勉強会に参加することになった彼は、その日に合わせて休日を取る。
彼の勤務する動物病院は24時間365日、夜間は急患のみとはいえ、正真正銘の年中無休である。
獣医師達は週一日の当直と週二日の休暇とを、自分の予定を考えつつ、互いに相談しながら決めるのだ。

盆や年末年始の当直はどうかというと、それは「相談」の結果下っ端がやることになる。
多少は空気が読めるようになって来た彼は、盆と正月の出勤を進んで申し出る。
此くして、彼が一年目と、恐らく二年目の年越しをしたのは、病院の当直室であった。

ちなみにこの「当直室」は、畳を2、3畳縦に並べたような細長い空間に、ソファーベッド一つと電話が置いてあるという、全く無駄のない、実に殺風景な代物である。
仮眠中に緊急の電話が掛かってくるのはあまり嬉しくないのだが、これはまだマシな方だ。
もっと恐ろしいのは、街も寝静まった漆黒の真夜中に、重体の患者を連れた飼い主さんが、何の前触れもなく入り口の扉を「ガンガンッ!」と激しく叩くことである。

そんな素敵な当直は、冬の寒い日がまた格別である。
彼の楽しみの一つは、当直室に受付のテレビを持ち込んで、深夜放送の「あしたのジョー」を観ることだ。
殺伐たる日々の中、明日に向かって戦い続ける主人公ジョーの姿に、彼は自分自身を重ねているのかもしれない。

それはさておき、環研の月一回の勉強会は通常夜の19時頃から始まるので、遠方の彼がそれに間に合うためには、遅くとも夕方前には自宅を出る必要がある。
時には肉体的にも過酷な仕事の合間の休日に、環研まで高速道路を使って片道約3、4時間の道のりを行く。
知らない人達の集いによそ者がひとりで行くのは、ヤクザのアジトに出向くような一種の緊張感があるが、知的エリート一味の溜まり場に乗り込んでいくのにも、やはり似たようなものがある。

環研の研究室に着くと、彼は下座はどこかと考えながら、小さい椅子を見つけて座る。
そして19時に勉強会が始まると、教授をはじめとする10数人が机を囲んで座り、難解な英語論文の読み合わせなどをみっちり22時頃まで行う。
それが終わると、慣れない場所で緊張して疲れたであろう彼は、昼来た長い道のりを、夜また飛ばして帰り行く。

これもまた、寒い冬が格別である。
真夜中の高速道路を独り行くのは、勉強会での若干の疲労とも相まって、否応なしに眠気を誘う。
そうなると、それ以上運転を続けるのは危険なので、パーキングエリアに車を止める。

そこは、とっくに閉まった真っ暗な小さい売店と、これまた古くて小さなトイレしかない、切れかかった蛍光灯がちらちらするようなシケた場所である。
そこの駐車場でエンジンをかけたまま、暖房をつけてもなお寒い狭い車内で、彼はシートを倒して仮眠を取る。
夜には電車もなく、夜行バスも使い勝手が悪いから、そうするよりほかどうしようもあるまい。

気がつくと空は薄明るくなっていて、「ああ、またやっちまった・・・」と思いながらむっくりと起き上ると、彼はおもむろに曇った窓ガラスを拭く。
数時間エンジンをつけっぱなしの車のサイドブレーキを降ろすと、仮眠でむしろ疲れてしまった体でアクセルを踏み込み、昇り来る太陽を背に彼は高速道路をまた飛ばし始める。
そして朝日の差す自宅に帰って着替えると、パンか何かを口に押し込んで、そのまま動物病院に行って仕事の一日が始まる。

ある意味で詫び寂びすら感じられるそんな休日は決して楽ではないが、それでも大学院入学の布石になるのなら、彼は喜んでそれをする。
自分の目標達成のためにそれが役立つと明確にわかる場合には、人は困難をものともしない。
そして彼は、大学院の入学試験がその年1999年の9月末にあることを知る。

第23話に続く)

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DATE : 2011.02.14 (Mon) 00:59
第20話より続く)

高校時代に陸上部に所属していたにもかかわらず、100m走や200m走を専門としていた彼は、長距離は全くの素人だった。
毎日2.7km程度――仮に往復で5.4kmとしても――を、ペースも特に考えずただ走るだけでは、ハーフマラソンの練習には全く不十分だと言わざるを得ない。
取敢えずレース出場を決めるという、その意気や良し。果たして、その結果や如何に。

1999年1月24日、高槻シティハーフマラソン。
スタートの号砲が鳴ってからしばらくは、彼も問題なく走れた筈である。
しかし10kmを超えてくると、長距離の走り込みを十分にしていない彼の身体は、次第に問題を現し始める。

大腿の筋肉と膝関節とに、痛みが走る。
初めは大したものではないのだが、一歩一歩、着地を繰り返す度に、少しずつ、しかし確実に、それは増していく。
気がついた頃には、彼は痛みのあまり歯を食いしばっていた。

しかも悪いことに、途中から降ってきたのは雨である。
1月末というただでさえ寒い天候に、追い討ちをかけるような冷たい雨が。
経験を積んだランナーであれば、寒さ対策も雨対策もしているに違いないが、ド素人の彼は、想定外の事態にただただ蹂躙されるばかりだ。

思えば、3年前に美しい川沿いで16kmを走ったのは、肌を引き締める涼しく澄んだ空気が心地よい、雲ひとつなく晴れた素晴らしい秋の日だった。
それが今はどうだ。
鉛の如き重苦しい雲の垂れこめる、鬱陶たる灰色の景色の中、それでなくても痛い筋と関節とに、雨の寒さと冷たさが、地獄の呵責を容赦なく浴びせてくる。

あまりの苦痛に、彼は恥も外聞も捨てて「うぅっ!」という呻き声を上げる。
何を思いながら彼は行くのか?
数100m毎に現れる「ゴールまであとxx km」という表示に、すがるような痛々しい視線を浴びせながら足を引きずる彼は、もう既に「走って」などいない。

ただ独り出場を決めて、ただ独り走る彼に、誰も、一時も、「走れ」などとは言っていない。
嫌ならやめてしまえばいい。
それでもなぜ彼はまだ行くのか?

足を引きずりながら辛うじて前の方向に行く彼の速度は、もはや早歩きよりも遅かろう。
そんな蝸牛のようなのろいペースでも、一歩一歩進めば、確実にゴールとの距離は縮まっていく。
スタートから2時間8分24秒後、雨に濡れた彼の冷たい身体が、辛うじてゴールをくぐった。

それはさんざんなレースであったが、兎にも角にも完走は完走に違いなかった。
「やったんだ・・・」
痛みでボロボロな足を引きずりつつも、わずかな達成感に浸りながら、彼は帰路につく。

第22話に続く)

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DATE : 2011.02.13 (Sun) 01:24
第19話より続く)

彼は「聖地巡礼」の際すでに訪れていたので、環境医学研究所は二度目である。
時間通りに到着した彼は、そこの教授と話をした後、研究室を見せてもらった。
その研究室は、彼が獣医学生時代に所属していた研究室と雰囲気も研究手法もよく似ていたので、ここならやっていけそうだと彼は思った。

彼の目的が医学博士号取得にあることを知った教授は、とりあえず月一回研究室で行われている勉強会に参加してみてはどうか、と提案した。
とにかく大学院入学の足がかりを得たい彼にとって、それは渡りに船のお話である。
宇宙医学実験センターが大学院生を募集していないことには落胆したものの、こうして彼は、環境医学研究所の研究員になる好機を得た。

いま、彼と宇宙とを隔てる「経歴」という絶壁に、一本の小さな楔が打ち込まれようとしている。

当時の彼の心理状態を知る手がかり――それは全く彼が意図したところではなかったが――は、掲示板で知り合った「メル友」達とのメールの記録である。
もう半年ほども続いている彼女達との文章のやり取りには、彼の行動や所感などがよく記されていて日記の様相を呈しているのだが、それにもかかわらずその中には宇宙についても大学院についても全く触れられていない。
彼にとって重大に違いないそのことを、ただ自分の心のうちにのみ秘めている心境は、如何なものであったろうか。


彼に起こった変化は、もうひとつあった。
彼は、2ヵ月後に開催される「高槻シティ国際ハーフマラソン」にエントリーしたのだ。
今まで走った距離の最高記録が約16km――それも最早3年も前――である彼にとって、初めての21kmは小さからぬ決断だったに違いない。

幾らか前に書店でトライアスロン誕生の物語に出会ったとき、3.9kmを泳ぎ、180kmを自転車で走った後、42.195kmのフルマラソンを完走するアイアンマンの凄絶さに、彼は憧憬の念を抱いたことだろう。
しかし、そのとき何かが彼に「それは不可能だ」と告げた。
それはいったい何者だったのか?

1960年代のアポロ計画の時代には、宇宙飛行士には並外れた強靭な体力が求められた。
その後の科学技術の進歩は、ただ単純に人を宇宙に送るだけならば、そのような強靭な体力を必要としなくなった。
しかし、宇宙飛行士候補者選抜で「金色の者達」と戦うことを考えれば、体力的に強い方が今も有利なことは間違いなかろう。

何か難関に遭遇したとき、その突破を妨げるのは、他の何者かというよりは、自分自身であることが少なからずある。
よくよく考えれば、誰かが彼に向かって「お前にアイアンマンなど無理だ」と言ったわけではない。
それを彼に告げたのは、幼少時代からマラソンが苦手だった彼の、自身の無意識ではなかったか?

そもそも、ある物事が実現不可能であるという論理的な証明が、いったいこの世のどこにあるのだろうか?
「わざわざ自分で自分の可能性を潰す必要もあるまい。」
彼は、自分がアイアンマンレースを完走できるようになる確固たる自信はなかったが、同時にそれが無理だと思い込む必要もないと考えた。

まずは、小さなところから積み上げていけばいい。
彼は、通勤の2.7kmの道のりを走って行くことにした。
2ヵ月後の「高槻シティ国際ハーフマラソン」に向けて。

第21話に続く)

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DATE : 2011.02.10 (Thu) 12:23
第18話より続く)

彼は、某大学の環境医学研究所なる施設の一部門が大学院生を募集していることを探し出すと、おもむろに連絡を取り始めた。
1998年10月26日に彼がその部門の教授宛に送ったメールには、11月末頃そこに行って話を聞きたいという旨が書かれている。
彼がその研究室の訪問の日程を1ヶ月も後に設定したのは、11月のはじめに「ハワイ獣医師会年次大会」なるイベントに参加することになっていたからだろう。

彼が勤務する動物病院では、勤務2年目のスタッフをその大会に参加させる慣習があった。
その表向きの目的は獣医学の最新の動向を掴んで来ることにあるが、実際には、日頃の激務を慰労するという、院長のイキな計らいでもある。
彼は、数日間の日程のうちある1日をサボり、ウインドサーフィンをレンタルしてハワイの海を満喫した。

ところで、環境医学研究所の教授にメールを送った時の彼の心境は、如何なものであったろう?
彼は、まだ会ったこともない、それも医学部の教授という近付き難い人物に宛てて、初めて送ったメールに行って話を聞きたいと書いている。
そこにはある毅然とした決意のようなものが窺える。

彼は、その教授からいつ返事がもらえるかと気がかりだったことだろう。
しかし、そのような懸念をよそに、次の日の朝には教授からメールが届いていた。
それは、我々の研究室では宇宙医学の研究はメインではないが、その関連の研究もやっており、見学は歓迎するという旨だった。


いつの日か自分が応募するであろう宇宙飛行士候補者選抜に応募してくるのは、どんな人物か?
それは、誰もが認める高い能力と、人も羨む輝かしい経歴とを持った、強者どもに違いない。
まだ見ぬその者達の姿を想像するとき、彼には、彼らが金色のオーラを身に纏っているかにさえ見える。

能力の不十分さもさることながら、彼は「獣医学科卒業後、獣医師として勤務」という今の自分の経歴だけでは、到底その強者どもと戦えないと踏んでいた。
宇宙を目指す彼の前には、「経歴」という越え難い絶壁が立ちはだかっている。
如何にしてそれを越えるか?

最も理想的なのは、宇宙医学の研究をして医学博士号を取ることだろう。
しかし、宇宙医学実験センターの大学院生への道が閉じられた今、彼は他の道を辿るより他ない。
仮に研究のテーマが宇宙医学と直接関係なくとも、「大学院医学研究科博士課程卒」であれば、何とかあの「金色の者達」と同じ土俵に立てるかもしれない――。

彼は、現実に実現できるか疑わしいその選択肢が、最も現実的だと考えた。
そのようなことを考えるうち、獣医の仕事と、歴史と数学と漢字の勉強と、「掲示板」のメールに明け暮れる1か月が過ぎた。
そして迎えた1998年11月27日の朝、おそらく断崖絶壁に挑む覚悟で、彼は環境医学研究所に向かう高速道路をただ独り飛ばす。

第20話に続く)

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