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DATE : 2011.02.02 (Wed) 01:15
第12話より続く)

あたかも女神の気まぐれの如く、運命はいつも前触れなしに突然やって来る。

獣医2年目の彼の楽しみの一つは、休日にネットカフェに行くことであった。
まだADSL接続もGoogleもなかった1998年、それは話題の最新スポットだったのである。
ガラス張りの建物の中に観葉植物などが置いてあるスタイリッシュな空間で、彼は高い椅子に腰かけて「ネットサーフィン」を楽しんでいた。

YahooやExciteなどで何回か検索を繰り返した後、彼は検索ウインドウに「宇宙 医学」と入れてみる。
ズラッと並ぶ検索結果の何ページ目かにあったサイトのリンクを何気なくクリックしたとき、彼の脊髄に電撃が走った。
それは某大学の「宇宙医学実験センター」のサイトだった。

***

時は3年前、彼が獣医学科の5年生だった1995年の夏に遡る。
何気なく大学の掲示板を眺めていた彼は、所狭しと貼りつけられた掲示物の中のある一枚を見た瞬間にフリーズした。
それは、宇宙開発事業団の「宇宙飛行士候補者 募集要項」であった。

そこに記されている「応募条件」の3番目には、次のようにある。
自然科学系の研究、設計、開発等に3年以上の実務経験を有すること。
(平成7年8月31日現在。なお、修士号取得者は1年、博士号取得者は3年の実務経験とみなします。)


これを見た彼は、宇宙飛行士になるためには博士号を取得するのが有利だろうと考えた。
実際、宇宙開発事業団初の宇宙飛行士である毛利衛さんは理学博士だし、アメリカの宇宙飛行士も博士号取得者が少なくないと聞く。
自分も何とかして博士号を取りたいものだ――。

しかし彼の実家は裕福ではなかったから、大学院に行きたいといっても援助は得られなかった。
彼を6年もの間大学に行かせる親としては、卒業後はすぐ働いて欲しいというのはもっともなことだ。
したがって、大学卒業後にそのまま大学院進学という選択肢は、彼にはなかったのである。

***

「宇宙医学実験センター」のサイトを映し出したディスプレーを食い入るように見ると、日本唯一のその施設を持つ大学は、何と彼の実家からギリギリ通える距離にあるではないか!
それなら、経済的な負担はかなり軽い――。
彼は「なぜ今まで気付かなかったか?!」と自分を少し責めさえしたが、まだネット検索も一般に普及しておらず、そもそも大学院進学自体が現実的な選択でなかったことを考えれば、それは無理からぬことかもしれない。

「とにかくコンタクトを取らねば!」
もともと臨床獣医師として勤務するのは、3年間と決めていた彼である。
まだ見ぬ宇宙医学実験センターとそこでの研究生活に思いを馳せ、彼はネットカフェを後にした。

第14話に続く)

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DATE : 2011.01.31 (Mon) 23:51
第11話より続く)

「誰か来てッ!!」
受診患者がエマージェンシーと見るや、動物病院全室にこだまする号令が診察室から飛ぶ。
他の診察室や処置室、入院室にいる獣医師や看護師はもちろん、時には受付嬢までもが飛んで行って、彼らの「戦争」が始まる。

瞬時に集まったスタッフは直ちにリーダーに気管カニューレと喉頭鏡を手渡し、患者の保定に回って気道確保を行う。
同時に他の者は輸液の準備を行い、気道確保チームの隙間をかいくぐるように静脈に手早く留置針を入れる。
次の瞬間には心電図が取り付けられ、必要と見るやAEDの電極を胸部に当てて「行くぞ!」の一言で電気ショックが走る。

一秒が生死を分ける現場で、時には8人に上る一隊が急患を取り囲んで救命を行うその姿は、嵐さながらである。
ある意味で軍隊のようなその組織では、チームワークは絶対であり、リーダーはその判断に全ての責任を負い、従うフォロワー達は彼あるいは彼女の意思を的確に汲み取って最大限の援護をしなければならない。
宇宙ステーションのクルーに求められるリーダーシップとフォロワーシップも、これと完全な別物ではあるまい。

彼の獣医師就任から1年が経ち、彼の病院は数人の新人を迎えた。
就任時には「戦場」で何をしていいか分からず、ただウロウロして「上官」の邪魔にならないようにするのが精一杯だった彼も、今では実戦を戦う戦力に成長していた。
逆にそうでもなければ、「戦力外通告」を受けていたに違いないが。

精神的に多少の余裕ができた彼は、英語に加えて数学と歴史と漢字の勉強も始めた。
宇宙飛行士に求められる「教養」を身につけるためである。
他はともかく数学などは獣医の仕事と完全に無縁な上、普通は人が好き好んでするものではないので、もし彼がそんなことをせっせとしていることが病院のスタッフに知れたら、彼は狂人扱いされたかもしれない。

ところで、英語も獣医には関係あるまいと思われるが、こちらは意外にも絶大な威力を発揮する。
彼の病院とその関連病院では、海外の最新文献を用いた合同勉強会を毎週開いており、その当番に当たった者はそれを訳して発表することが求められる。
彼ははじめ気付かなかったのだが、獣医師の腕では下っ端の彼も、英語に関してだけは、彼の上司や他院の院長を凌駕して追随を許さなかった。

彼の上司の一人である副院長は、獣医臨床における知識と技術の両面において他院の獣医師達からも一目置かれる鬼才であるが、時折彼を叱責するその副院長も、彼の英語力だけは認めざるを得ない。
ケンタッキー留学時代には実用から程遠かった彼の英語は、5年の年月の間に少しずつながら確実に鍛えられ、今や彼の一本の剣となっていた。
しかし彼は、その剣の力にまだまだ満足しているわけではない。

第13話に続く)

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DATE : 2011.01.31 (Mon) 01:29
第10話より続く)

「馬鹿野郎ッ!!」

酸素分圧モニターから「ピッ、ピッ」という音が鳴り響き、人工呼吸器で全身麻酔されているイヌが横たわる手術室から、聞く者を委縮させる甲高い怒号が飛ぶ。
オペを執刀している副院長が、輸液の三方活栓の操作にモタついている彼を厳しく叱責したのだ。
彼がその輝かしい社会人第一日目に有難く頂戴した言葉は、心の込もった「バカヤロー」であった。

獣医学生時代に基礎系の研究室に所属していた彼には実臨床の経験が全くなかったので、そんなヘマをやらかしたのも無理はない。
同期の新人獣医師は彼の他に2人あったが、その中で彼は一番経験が浅い。
つまり言い換えれば、彼はその動物病院で一番の劣等生ということになる。

学生時代に語学資格をいくつか取得し、獣医師国家試験を問題なくパスしてきた彼には多少のプライドもあったろうが、そんなものは初日にして粉々に砕かれた。
技術に定評があり、数100kmも遠方から患者が訪れてくることも珍しくないその動物病院は、しばしば「戦場」のような状態と化す。
実際、夜間に交通事故などの重篤な救急患者が立て続けに入る場合など、極度の緊張状態が数時間続きっぱなしになることもしばしばである。

また週に一回当直があり、その日は当然家に帰れない。
当直明けの日は日程上では休みなのだが、当直業務中に引き受けた入院患者の処置などで時間がかかり、気が付いたら夕方などということもある。
さらに、副院長(彼を叱責したその人)の当直の日には、レントゲン読影などの勉強会で深夜3時頃までかかることもしばしば。

それでなくても病院一の劣等生の彼は、日中の通常の業務においてもヘマをやらかさないよう常に緊張している必要がある。
出勤日の夜はコンビニで何か買ってワンルームに帰り、食べて風呂に入ったら倒れるように寝る、という有り様。
ある当直明けの日など、彼は疲労し切った体を公園のベンチの上に仰向けに乗せて空を見上げ、己の境遇を嘆かずにはいられなかった。

こんな状況では、呑気に英語の勉強をするなどという余裕は生まれまい。
それにもかかわらず、彼が初出勤から3週間後には『松本亨英作全集』の英作文問題をB5のルーズリーフ3枚に書きつけていることに、私は驚きを禁じ得ない。
もしかしたら、苛烈な仕事に追われる毎日にあって、「宇宙を目指して英語の勉強をする」ということが、彼にとって自分自身を取り戻す安らぎの行為ですらあったのかもしれない。

取れる保証のないたまの休日に英作文をするという1年は、あっという間に過ぎた。
大学時代に始めた『松本亨英作全集』全10巻の第7巻が終了し、それを記したB5のルーズリーフは431ページを数えた。
そうして彼は獣医師2年目の春を迎える。

第12話に続く)

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DATE : 2011.01.29 (Sat) 00:06
第9話より続く)

彼には「大局を観て策を練る」という慧眼はないが、それでも学生時代という比較的自由に時間が使える間に、宇宙飛行士に必要と思われることを可能な限り習得しようと考えた。


その頃の彼の関心の大部分を占めていたのは、語学であった。
宇宙飛行士の出身国は、アメリカはもちろんヨーロッパ各国やロシアなどと幅広い。
コミュニケーションを図る上で、また彼らの国の文化を理解する上で、その国の言葉を理解するのは役立つだろう。

それに、「趣味が語学」というのも、宇宙飛行士としてなかなか悪くないではないか。
普通は本業と独立して行い、気晴らしや愉しみとなるはずの趣味ですら自らのミッションと関連付けるということの良し悪しはともかく、それはは彼のやり方を特徴的にあらわしている。
とはいえそれは決して苦痛ではなく、彼自身はそれを楽しんだ。

彼が「手を出した」言語には、ドイツ語、ロシア語、フランス語、中国語、スペイン語、イタリア語、ヒンディー語、韓国語や、果てはサンスクリット語などがある。
さすがに宇宙でもサンスクリット語は話されていないが、これはお遊びである。
言葉は使っていないと忘れるもので、ある理由から後に精力的に学ぶ言語を除き、彼が学んだかなりのものは失われてしまった。

また彼は、検定試験が大好きだった。
「サイボーグ」の彼にとって、物事の習得の度合いを合否という形でハッキリさせるのは、ミッションの遂行度を判断する上で有用だったのだろう。
彼の検定好きは後にも続くが、学生時代にはドイツ語検定3級や漢字検定2級を取得している。


宇宙飛行士候補者の募集要項の「医学的特性」の条件には、「心身ともに健康であり、ともに宇宙飛行士としての業務に支障のないこと。」とある。
これを見た彼は、ランニングやウエイトトレーニングで体を鍛える。
その一環として彼は16kmのジョギング大会に出走しているが、このときまだ彼は、後に自分が目指すものについて全く知らない。

ところで、彼が音楽棟に侵入してピアノで「パヴァーヌ」などを弾き始めたのは1995年9月7日、ECCのフリータイムレッスンを始めたのは同年9月26日、ジョギング大会を完走したのは11月5日、英検準1級合格は12月5日、ドイツ語3級合格は12月19日である。
つまり、1995年の秋から「最も美しい記憶」に続く日々の間、彼は本業の獣医学生(ちなみにこの頃彼はスイミングスクールと家庭教師のバイトもしていた)に加え、英語とドイツ語と音楽と体力トレーニングを同時に行い、しかも語学に関しては結果も出していたことになる。
当時彼が自覚していたか否かは定かではないが、これが学生時代における彼の「黄金時代」だといえる。


もうひとつ彼がしたことは、読書である。
学生時代に彼が読んだ書物には、トルストイ『人生論』、フロム『愛するということ』、『論理哲学論考』、『戦争と平和』、『ラッセル幸福論』、『罪と罰』、『赤と黒』、『三国志』や、シュリーマンの伝記などがある。
ただし、彼の記憶容量の問題から、彼のメモリー上ですでにフラグメント化あるいは削除された内容も少なくない。

そして、彼にとって特別なひとつの書物がある。
ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』である。
それは彼にとって難解な書物だが、一読して魂を打つものを感じた彼は、それを何回も繰り返し読む。

その本には「超人」について繰り返し述べられているのだが、彼はそれを「人間が到達しうる限り最高の高みにある者」という意味に解釈した。
またその本の一節には「人間における偉大なところ、それはかれが橋であって、自己目的でないということだ。」とある。
自分は「超人」にはなれないかもしれないが、そこに架ける「橋」にはなれるかもしれない――

此くして彼は「超人に架ける橋」となることを決意する。

***

卒業後の進路について一時真剣に思い悩んだ彼ではあるが、せっかく獣医学科を卒業するのだから、3年ほど臨床経験を積んでおくのは悪くないと考えた。
実際、アメリカには獣医出身の宇宙飛行士もいると聞く。
そうして、彼は小動物臨床獣医師の道へ進む。

第11話に続く)

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DATE : 2011.01.27 (Thu) 23:57
第8話より続く)

彼があれほど苦しんだのは、いったいなぜだろう。
もし彼が欲したものが単なる一時の快楽だったら、彼はあれほど深い淵に沈んだろうか?
もし彼が望んだ「高み」が大したものでないなら、彼はあれほど絶望しただろうか?

鴨長明の『方丈記』の有名な一節に、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。」
とある。

彼が彼女――それは疑いもなく彼の「第2の女」である――とともにあったという事象は、彼の人生の流れという河、あるいはこの世の流れという河に浮かぶ、ひとつの「泡沫(うたかた)」であった。
ではその泡沫は、1995年とその翌年という有限の時間にのみ存在した、その後二度と誰にも振り返られることのない、単なる無意味な一個の現象だったのだろうか?
そして、その泡沫は二度と現れないのだろうか?

彼が好きな歌に、山崎まさよしの「One more time, One more chance」がある。
その一節には、「命が繰り返すならば 何度も君のもとへ」とある。
もし閻魔大王か誰かが「汝、また地獄の苦しみを味わうとも再び「あの時」を欲するか?」と問うなら、彼は結局こう答えるだろう。

「然り。」
と。


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彼の人生には後にも幾多の辛酸、苦悩、そして困難が待ち受けているが、今なお彼が「絶望」と呼ぶのはあの時だけである。

英検準1級に到達した彼は、英検最後の頂きである1級へ至る道を探し始める。
そして書店の英語コーナーの本棚にギッシリと詰まっている本を1つ1つパラパラとめくるうち、彼は『松本亨英作全集』全10巻に目を留める。
この問題集は各巻に200問の英作文問題が収められており、その1問1問が完全に正解できるまで繰り返すという、なかなか骨のある代物である。

この問題集を彼が始めたのは、1995年の12月26日、ちょうど「最も美しい記憶」の頃である。
それから1996年の3月24日までの90日間、大晦日も元旦も、彼は毎日それを休むことなく続けた。
全10巻の問題集のほぼ半ばまで進んだその時、英作文を書きつけたB5のルーズリーフは263ページを数えた。

ところで、彼が奈落に落ちた日は、その90日間のちょうど中頃である。
つまり彼は、最も美しい記憶の日々にも、人生唯一の絶望の日々にも、変わらずそれをやり続けたのである。
そこまで彼を突き動かすものが何であるか、まだ知らぬまま。

第10話に続く)

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