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DATE : 2013.01.21 (Mon) 23:24
出張の学会発表でデンマークに行ったときのこと。
ディナーで歓談しているとき、デンマーク人の教授が「我々はヴァイキングの子孫だ」と言っていたのだが、とても誇らしげなのが印象的だった。
ヴァイキングといえば残虐な盗賊というイメージがあるが、別の見方をすれば勇猛で冒険心に富んだ民族ともいえる。

歴史は、人間が何者であるかを教える。
北欧人の先祖であるヴァイキングの歴史が、デンマーク人の教授の自己意識を形作っているように。
では、我々日本人は何者なのか?

日本人は農耕民族であり、国の大部分は農業による自給自足により暮しが営まれていた・・・
と、かつては考えられていたし、それはある程度は事実だろう。
ところが、網野善彦『日本の歴史をよみなおす』によると、律令国家から江戸時代に至るまで、日本という国が、民の大部分が農耕に従事する画一的な社会であったとする見方は、ずいぶん偏ったものであるらしい。

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我々日本人の場合、百姓というと、まず思い浮かべるのは農業に従事する人である。
しかし、実際には農民のほかに、廻船で海を渡って交易する廻船問屋、船大工、鍛冶屋、漆職人、漁民や、海水から塩を作る者など、驚くほど多様な職能の人々が「百姓」に含まれていたことがわかってきた。
かつての日本は、農業が圧倒的大部分を占める単調で画一的な社会などでなく、「百姓」のなかには交易や工芸品生産などに従事して利益を上げる者もあった、非常に多様でダイナミックな社会だったのだ。

ちなみに「百姓」という言葉は中国にもあり、その意味は「普通の人、平民」という意味らしい。
実際、韓国系の中国人留学生も同じことを言っていた。
確かに百姓という言葉の字義を考えれば、「百の姓」すなわち「もろもろの名前」という意味に過ぎない。

少なくとも私の世代までは、百姓といえば農人というのが常識的な理解だったと思う。
それもそのはず、網野氏によれば、なにせ歴史学者すら最近までそう思い込んでいたらしい。
では最近の歴史教育はどうだろうと思って昨年のセンター試験の問題を見てみたら、選択肢の一つに「百姓身分のなかには、農業のほか、林業・漁業に従事する者もいた。」とあるので、網野氏の主張がいくらか受け入れられてきたのだろうか。

網野氏によると、江戸時代の時国家の襖(ふすま)の下張りに使われていた紙を復元した文書から、ある驚くべき事実が明らかになったという。
すなわち、時国家は八百~千石積の巨大な船を4艘も持ち、北海道や大坂だけでなくサハリンにまでもわたり、一航海で千両を越える取引をしていたというのだ。
これはおそらく氷山の一角に過ぎず、日本全体でみれば我々のイメージとは異なるダイナミックな事件がもっともっとあったに違いない。

歴史は我々が何者であるかを教える。
今後の調査・研究により新たな発見がなされ、その度に我々の歴史認識は変わっていくだろう。
そしてその度に我々は自己の認識を変えていくことになるが、それはきっと楽しいことだと思う。

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DATE : 2013.01.16 (Wed) 00:17
以前より気にかかっていた、社会現象とまで言われたエヴァンゲリオンを、ようやく観た。
映画の 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』ならばてっとり早く筋が理解できるかと思いきや、序、破、Qと観てもまだまだ本質がつかめない。
これはオリジナルTVシリーズを見る必要があるということになり、結局DVDで『新世紀エヴァンゲリオン』の全エピソードを観てしまった。

加持曰く「真実は、人の数だけ存在する」。
したがって、私独自のエヴァ解釈があってもよかろう。
私にとって、エヴァンゲリオンとは「人がいかにして生きるか」についての物語だ。

Episode 20’では、ミサトやアスカやレイやユイの姿を借りて「何を願うの?」という問いが主人公シンジに発せられる。
これはそのまま、劇を観ている私たちに「この世界に何を望むのか」を問うている。
それは「人がいかにして生きるのか」ということの別の表現である。

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最終話「まごころを、君に」でシンジが置かれた状況は、二択ではないかと思う。
第一の選択は、ATフィールドを捨て、ヒトの形を捨てて、自分と他人との境界のない、したがって争いや対人関係の苦しみが一切ない、LCLの海、エデンの園に還っていくこと。
第二の選択は、ATフィールドを持ち、ヒトにとどまり、自己と他者の存在する、したがって争いも対人関係の苦しみも存在する、いわば我々の日常に戻ること。

ゼーレが目指している第一の選択も捨てがたい。
ヒトの形は失ってしまうが、なにせ他人との衝突が一切ない、というよりは、境界なくあらゆる他者と融合している、争いごとなど起こりようのない、平和な世界だ。
この世界は、劇中ではシンジとレイがLCLの海の中で性的結合をしている状態として描かれている。

しかしシンジは第一の世界を見たのち、「何か違う気がする」といって第二の道を選ぶ。
結局我々にとっての日常を選択するのである。
なんだかがっかりな気もするが、これももっともなうなずける選択だと私は思う。

なぜならば、自己が存在しない世界では、愛することも、希望することも、夢を見ることもできない。
常に他者と融合している世界では、愛など存在しない。
あらゆる要求が満たされている世界では、希望という概念など存在しえない。

夢について、シンジとレイは次のように語る:
シンジ「じゃあ、僕の夢はどこ?」
レイ「それは、現実の続き。」
シンジ「僕の、現実はどこ?」
レイ「それは、夢の終わりよ。」

このやりとりを「夢が無残に打ち砕かれて現実に引き戻される」ことだと解してしまうと、この世は地獄になってしまう。
しかし、人生を「満たされない現実から夢が生まれ、その夢が達成されて現実となる」というサイクルの繰り返しと見るならば、この世は希望に満ちている。
Finaleで伊吹が言うように、「現実を見る角度。置き換える場所。これらが少し違うだけで、心の中は大きく変わる」のだ。

それに私は、死後の世界とは結局第一の選択の世界ではないかと思う。
我々人間が死ぬと、身体を構成している物質は焼かれるなり腐るなりして、最終的に自然に還っていく。
土なり海なり空気なりに変わっていくそのさまは、まさに自己と他者の境界の存在しない世界への移行だ。

ヒトの形を失って自然に還っていくことを、私たちは死と呼ぶ。
しかしこれは、考え方によっては新しい存在形式の始まりでもある。
自己も他者もすべて融合し、争いのない平和な世界は魅力的だが、わざわざ今これを選択しなくても、いずれ我々はそこに還ってゆく。


『ヱヴァンゲリヲン新劇場版: Q』には、エヴァの世界が打ち砕かれたとか、意味不明というようなネガティブなコメントも多く聞かれるようだ。
しかし私は、エヴァンゲリオン、あるいはヱヴァンゲリヲンは、自己の意思を持って生きようとする人間への讃歌だと考える。
Qは、繰り返す世界の円環の中で語られる、『新世紀エヴァンゲリオン』のアナザー・ストーリーだと思って観ればおもしろい。

おそらく数年後になる次作『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』に、大いに期待している。

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DATE : 2012.12.28 (Fri) 01:56
恐れや悲しみや苦しみや煩いから解放され、安らかでありたいとは、誰しも思うことだ。
しかしいくつかの宗教が説くところでは、よい行いが報われるのは死んだ後だ。
もしそうだとすると、たいていの人にとっては死後とか来世とかは遠い先のことだから、よい行いをしてもその恩恵にあずかるのはずっと後になってしまう。

しかし、よい行いをすることで瞬時に安らぎが得られるとしたらどうだろう?
そんなうまい話はない、と思うかもしれない。
ところが驚いたことに仏教の最古の聖典『スッタニパータ』では、煩悩は行いによって直ちに消滅すると説かれている。

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例えば議論。
人はみな自分が正しいと思っているから、自分の考えややり方を否定されるとむきになって相手に反論する。
しかし仮にその議論に勝ったとしても、一時的な優越感と若干の賞賛が得られるのがせいぜいであって、真の安らぎは得られない。

ためしに議論をしないよう心掛けてみると、意外なほど心が安らかなのを感じる。
議論のほかにも、怒らないこと、驕らないこと、貪らないことなどは、行った結果が安らぎの形で直ちにフィードバックされる。
これは本当に驚くほど効果がある。

しかし、その一方でスッタニパータに述べられている行いがすべて簡単に行えるわけではない。
例えば出家や売買の禁止などは、今日の一般民衆には極めて困難だ。
自分の置かれている環境の中で、スッタニパータの教えをいかに取り入れるかという問題は、各人にゆだねられる。

ゴータマ(ブッダ)が生きた時代は今から2500年ほど前。
彼の死後に後継者たちによって体系化された仏教では、地獄は死後の世界として説かれる。
しかし、ゴータマその人が説いた教えでは、天国も地獄もいまこの現世にあるものと考えられていたらしい。

ニルヴァーナ(安らぎ)はどこにあるか?
それはどこか途方もなく遠いところにあるのだろうか?
否、それはよく気を付けて熱心に平安への道を学び、実践するという行為のうちに「生じる」のだ。

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DATE : 2012.12.20 (Thu) 00:11
第1次世界大戦のリアルなドキュメンタリーを思わせるシーンから映画は始まる。
ところがどっこい、その後のあらゆるシーンやチャップリンのコミカルな演技で、観客は笑わずにはいられなくなる。
この映画には、人間だったらおそらく誰でも笑ってしまうような、ユニバーサルな笑いが至る所にちりばめられている。

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また、ヒトラーの名前をもじったヒンケル、ナチスのハーケンクロイツをもじったダブルクロスのマークや、オーストリアをもじったオストリッチなど、ユーモアもいっぱいだ。
しかしこの映画の核心はやはり、単に笑いとユーモアだけに終わらない強烈なメッセージ性にあるだろう。
ユダヤ人のいたましいゲットー生活や独裁に対する批判をそのままストレートに描くより、ほとんど3分おきに現れるコミカルなシーンの合間に描くことにより、訴える力はより強くなる。

何か大切なことを訴えるとき、敢えて笑いを入れることによりメッセージを強めるというのは、高度なコミュニケーションスキルだ。
ぜひ一度やってみたいことではある。

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DATE : 2012.12.02 (Sun) 23:00
「何のために人は生きるのか」とは、誰しも一度は考える問題だ。
トルストイの『アンナ・カレーニナ』には、この問題への答えがある。

その答えを一言でいってしまったら、がっかりしたり反発したりする人も少なくないだろう。
正直なところ、何の前触れもなくそれを言われたら、私もちょっと身構えたに違いない。

しかしこの本を最後まで読み進めると、それが自然に受け入れられる。
自分一人だけでなく、全世界のあらゆる人が疑うことなく受け入れるもの。
何のために生きなければならないのか、何が善なのか。

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それは、キリスト教、仏教、イスラム教といった宗教の垣根を越えている。
しかしそれは、何か高尚な知識の延長線上にあるのではない。
私たちを取り巻くありふれた日常の生活の中にあるのだ。

物語の舞台は140年前のロシア上流社会。
一見私たち日本人には縁遠そうだが、描かれているのはさまざまな人物の家庭生活。
登場人物はみな人間臭く、誰しも自分の身近に似たような人物を見つけるだろう。

テレビも電灯すらもなく、ようやく鉄道が普及した時代。
一方の私たちの世界は、ネットも携帯電話も当たり前で、いまにも宇宙旅行が普及しようとしている。
技術的・物質的にははるかに進歩したが、みんなが世界同時不況だ欧州経済危機だと騒ぎ立て、未来はおろか今日いまの生活にさえ不安をいだいている。

そんないまこそ、「何のために生きるのか」が意味を持つ。
この普遍的なテーマは、140年たった今も変わらず読者に訴えかける。
そして、人間の生活が続く限り、この物語は語り継がれていくに違いない。

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