category: 歴史考
DATE : 2010.12.03 (Fri) 04:58
DATE : 2010.12.03 (Fri) 04:58
マスメディアが死のうとしている。
最近、その兆候をいろんなところで見ることができる。
一番わかりやすいのは、本の出版だろう。
書籍を電子メディアで提供する技術は、紙に文字を印刷して物理的に届ける「出版」というものの必要性を著しく低めてしまった。
これまで作家は自分の著作を大衆に届ける方法として、出版社を介するしかなっかた。
しかし、今ではそれよりはるかにスケールの小さい電子出版の窓口を使って、同じ著作を瞬時に全世界に発信することができる。
電子書籍を読む端末が普及しつつあることは、先日「本をトイレで買う時代」で紹介したとおりだ。
今までは商業的に儲からない書籍は自費出版するしかなかったが、書籍を公開するだけならばネット上で無料で行うことができる。
このブログも、短いごちゃ混ぜの文章の集まった書籍とみなすことができる。
いまや、私たち個人が小さな出版社なのだ。
次にわかりやすい例は、ラジオだろう。
音声情報をインターネットで伝達する技術は、電波を介して音楽・音声番組を届ける必要性をなくしてしまった。
日本ではあまりないように思うが、音楽だけを選んで放送するような番組ならば、ラジオ局が存在する意義は限りなく低い。(というか、もうすでに絶滅してしまったのだろうか…?)
なぜなら、音楽の使用権を個人が得る制度はすでに整いつつあり、あとは適切な音楽を選んでプレイリストを作りさえすれば、ネットを介して誰にでも音楽放送ができてしまうからだ。
すでにインターネットラジオが存在し、それこそ聞ききれないほどのたくさんのジャンルの音楽番組や、世界各国のラジオ番組を無料で聴くことができる。
そして、これは衝撃的なことなのだが、ustreamは個人がリアルタイムで映像・音声番組を放送することを、すでに可能にしている。
いわば、私たち個人がラジオ局を通り越して、すでにもう小さな生放送のテレビ局なのだ!
私もustreamのアカウントを作って試しにやってみたが、これは面白い。
しかし逆に言うと、iPhoneなどのスマートフォンは潜在的に全世界生放送のカメラなわけだ。
恐るべし。
他のマスメディアには新聞やテレビがあるが、これは次回に語りたい。
最近、その兆候をいろんなところで見ることができる。
一番わかりやすいのは、本の出版だろう。
書籍を電子メディアで提供する技術は、紙に文字を印刷して物理的に届ける「出版」というものの必要性を著しく低めてしまった。
これまで作家は自分の著作を大衆に届ける方法として、出版社を介するしかなっかた。
しかし、今ではそれよりはるかにスケールの小さい電子出版の窓口を使って、同じ著作を瞬時に全世界に発信することができる。
電子書籍を読む端末が普及しつつあることは、先日「本をトイレで買う時代」で紹介したとおりだ。
今までは商業的に儲からない書籍は自費出版するしかなかったが、書籍を公開するだけならばネット上で無料で行うことができる。
このブログも、短いごちゃ混ぜの文章の集まった書籍とみなすことができる。
いまや、私たち個人が小さな出版社なのだ。
次にわかりやすい例は、ラジオだろう。
音声情報をインターネットで伝達する技術は、電波を介して音楽・音声番組を届ける必要性をなくしてしまった。
日本ではあまりないように思うが、音楽だけを選んで放送するような番組ならば、ラジオ局が存在する意義は限りなく低い。(というか、もうすでに絶滅してしまったのだろうか…?)
なぜなら、音楽の使用権を個人が得る制度はすでに整いつつあり、あとは適切な音楽を選んでプレイリストを作りさえすれば、ネットを介して誰にでも音楽放送ができてしまうからだ。
すでにインターネットラジオが存在し、それこそ聞ききれないほどのたくさんのジャンルの音楽番組や、世界各国のラジオ番組を無料で聴くことができる。
そして、これは衝撃的なことなのだが、ustreamは個人がリアルタイムで映像・音声番組を放送することを、すでに可能にしている。
いわば、私たち個人がラジオ局を通り越して、すでにもう小さな生放送のテレビ局なのだ!
私もustreamのアカウントを作って試しにやってみたが、これは面白い。
しかし逆に言うと、iPhoneなどのスマートフォンは潜在的に全世界生放送のカメラなわけだ。
恐るべし。
他のマスメディアには新聞やテレビがあるが、これは次回に語りたい。
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